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瞑想Ps109/B

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瞑想Ps109/B

  • 最後の節(31節)「主は貧しい者の右に立ち、死刑を宣告する者たちから、彼を救われる」は預言的です。というのは、ここでいう「貧しい者」(原文では単数)、および「彼」とは、イエス・キリストを指し示しているようにも見えるからです。
  • 「死刑を宣告する者たち」とは、イエス・キリストを取り巻くユダヤの指導者たち。「主」とは御父と理解することができます。御子イエスの十字架の時に、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか。」という叫ぶ声に、御父は沈黙しておられました。不当な、不条理な裁判がなされたときにも、御父は沈黙しておられました。それほどに、御子イエスは全く「貧しい者」となられたのです。
  • しかしその沈黙にもかかわらず、御子の右に御父は立っておられました。御子は、使徒パウロが述べているように、「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。キリストの貧しさによって富む者となるためです。」(コリント第二、8章9節)
  • 詩109篇31節に「主は・・・助けられました」とあるように、貧しくなられたキリストを死からよみがえらせ、高く上げて、すべての者がひざをかがめるほどに最高主権者とならせました。それゆえこの詩篇の作者は、信仰によって、「私はこの口をもって、大いに主に感謝します。私は多くの人々の真中で、讃美します。」(30節)と言ったのもうなずくことができます。
  • ちなみに、この詩109篇8節は、イエスの昇天後に、使徒として一人欠けた地位を満たすために補充する提案をした時、ペテロが引用した詩篇の聖句です。ペテロをはじめとする120人の弟子たちはエルサレムのある屋上でひたすら御父の約束を待ち望んで祈りに専心していましたが、彼らは聖書、とりわけ詩篇を朗読していたと思われます。イエスの死からの復活を確信できた彼らは、この詩109篇の最後の節も十分味わっていたと思われます。
  • 従って、この詩109篇は類型としては「呪いの詩篇」に入れられますが、決して呪いで終わることなく、神の勝利が現わされたことを目の当たりにすることができたのです。その意味でこの詩篇はいつの時代においても預言的であり、キリストにつながるすべての者たちに当てはまる賛美の詩篇とも言えるのです。

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