****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

瞑想Ps111/C

神の永遠性へのゆるぎなき確信

  • 詩篇111篇はアルファベット詩篇で10節ありますが、行としては22行あり、その一行ごとの頭にヘブル語のアルファベットが当てられています。また、今回は、この詩篇の中にある永遠性を表わす語彙が2つありますが、その配列を見てもよく考えられています。

画像の説明

  • 図のように、「永遠を表わす二つの語彙」がシンメトリーで配列されています。
  • 表記については、新改訳も新共同訳いずれも、漢字で表記している「永遠に」は「ラー・アド」(לָעַד)、ひらがな表記の「とこしえに」は「レ・オーラーム」(לְעוֹלָם)、真ん中の「世々限りなく」には「永遠に」と「とこしえに」を合わせた「ラー・アド レ・オーラーム」(לְעוֹלָםלָעַד)が使われています。
  • 永遠の「オーラーム」(עוֹלָם)の聖書での最初の出典は創世記3:26です。そこでは、いのちの木から取って食べたアダムとエバが、永遠に生きないようにとエデンの園から追い出されたことが記されています。神のかたちに似せて造られた人が「神の永遠性」から閉めだされてしまったのです。
  • 一方のとこしえの「アド」(עַד)の最初の出典は出エジプト記15:18で、神によって贖われた民がモーセとともに「主はとこしえまでも統べ治められる」と賛美しています。つまり、永遠性から閉めだされてしまった者が、神の贖いのわざによって、再び、永遠性の中に取り込まれたのです。イエス・キリストの贖いによって救われた私たちも神の永遠の中に取り込まれています。
  • ところで、「オーラーム」は「永遠」という意味の他に、「隠された事柄」という意味もあります。つまり、それは人の目には見ることのできないものです。目には見えない神の永遠の事柄が堅く立っているのです。それは信仰によってしか見ることは来ません。ですからヘブル書11:1では、「信仰とは目に見えないものを確信すること」であると定義しています。アブラハムも、モーセもみな神の約束を確信して生きたのです。
  • 私たちは神の永遠性に目が開かれる必要があります。たとえ、目には見えずとも、神の救いの約束は天に蓄えられており、そこでは朽ちることも汚れることも、盗まれることも消え行くこともありません。神の御力によってしっかりと守られているのです。信仰は神からの賜物です。その恩寵によって、私たちは「心を尽くして主に感謝する」ことができるのではないかと思います。

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