瞑想Ps112/C
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神に逆らう「悪者」の審判用語
- 詩111篇と詩112篇に共通しているのは、
(1) いずれもアルファベット詩篇であること
(2) いずれも冒頭が「ハレルヤ」ではじまっていること
(3) いずれも永遠性、堅固性がみられること
- 異なっているところは詩篇112篇に、わずか1節分ですが、悪者の末路を表わす「審判用語」があることです。詩111篇にはそれが見られません。
112:10
悪者はそれを見ていらだち、
歯ぎしりして溶け去る。
悪者の願いは滅びうせる。
- 10節には「悪者」の行為とその末路を示す四つの動詞があります。
(1) 「見て」
「悪者」(神に逆らう者、ここでは単数)は、「神に祝福されている者」(単数)に対して無関心ではいられません。むしろ彼を憎みます。「ゆえもなく」憎まれます。神とかかわりを持つことをよしとしないサタンの存在がいるからです。いつもサタンは主にある者たちを主から引き離そうと企んでいます。
(2) 「いらだつ」
「悪者」(神に逆らう者)は、神に祝福されている者の姿を見るのに耐えられません。ですから「いらだちます」。「いらだつ」と訳された動詞は「カーアス」כָּעַסで、旧約では54回、詩篇では3回(78:58/106:29/112:10)使われています。多くの場合、神が罪を犯す者に対しての憤りとして用いられています。112篇のような用例は珍しい用例は珍しいようです。NIV訳はbe vexedと訳していますが、いらいらさせられるという意味です。おそらく正当な理由あってのことではなく、悪者のねたみによるものだと思います。それゆえ、次の「溶け去る」を「妬みを食い尽くす」と訳している聖書もあります。
(3) 「溶け去る」
「溶け去る」と訳されたヘブル語は「マーサス」מָסַסで、旧約では21回。詩篇では4回(22:14/68:2/97:5/112:10)使われています。旧約聖書で最初出てくる箇所は、出エジプト16章21節です。荒野において神が与えた食物である「マナ」が日が熱くなると溶けたように、あるいはろうが火の前で溶けるように、消え失せ、滅びうせ、あとかたもなくなってしまうことを意味します。また、人の心がくじけて「衰弱し」たり、「やせ衰える」といった意味にもなります。ここでの「悪者」の末路は「あとかたもなくなる」と言ってよいと思います。
(4) 「滅びうせる」
「滅びうせる」と訳されたヘブル語は「アーヴァド」אָבַדで文字通りの意味ですが、この動詞は詩篇1:6にも使われています。「悪者は滅びうせる」運命にある完全な滅びです。
- 詩112篇に見えるのは、「主を恐れ、その仰せを大いに喜びとする人」の存在(「御子」とも言えます)と、それを見て、憎み、いらだち、そしてやがては滅び去ってしまう運命を背負っている存在(「この世を支配する者」とも言えます)との対比です。その対比を記しているのが、人称なき存在です。
- イエスは言われました。この方(聖霊)がこの世に来ると、「罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせる」と(ヨハネ16:8)。