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瞑想Ps12/A

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瞑想Ps12/A

  • 「正直者が馬鹿を見る」ということわざがあります。そのことばが成り立つ社会の中で、神を信じて生きることは大きな葛藤があります。詩12篇の作者もその戦いの中で苦しんだ一人ではないかと思います。今朝の瞑想のキー・ワードは5節「主は仰せられる。『悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼を、その求める救いに入れよう。』」です。特に「今、わたしは立ち上がる」(Now I will arise)という主のことばは、これまでなんども「主よ。立ち上がってください。」(詩3篇7節、7篇6節、9篇19節、10篇12節)という叫びに対する、主の答えです。
  • 英語では、Now I will arise (NKJV) 、Now I will come (TEV) と訳されています。悩む者の叫びを聞かれた神が、とうとう重い腰を上げて、救いの手を伸ばしてくださる時が来たことを感じさせます。かつて、モーセが神の山ホレブで聞いた主のことばを思い起こします。『わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前に彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの悩みを知っている。わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地・・に、彼らを上られるためだ。見よ。今こそ、・・叫びはわたしに届いた。』(出エジプト3章7~9節)
  • 主はイスラエルの民の叫びをずっと聞いておられました。彼らの痛みをよく知っておられました。しかし時が来ていませんでした。しかし今、その時が来たのです。
  • 現実の生活の中で、あるいは主の働きをしていく中で、神はなにも働いておられないように思える誘惑が、主を信じる者に襲います。聖書に書き記されているような圧倒的な力をもって神が働いているようには思えない。そんな時、神を信じることが馬鹿らしくなるときがあるのです。私もそんな思いにかられたことがしばしばです。神を信じていなくても、世の中には、要領よく立ち回って利益を得ていくような、成功していくような者たちが大勢いる。みんながだましあって、二心をもって本音と建前を使い分けながら、悪いことでもかまわずに押し通して成功しているのを見ると、心が揺らされます。詩篇10篇、12篇の作者も同じ思いだったと思います。
  • しかし神は、神の時に必ず「立ち上がって」くださいます。ヨハネの福音書の2章には、カナの婚礼でぶどう酒がなくなったことを母マリアがイエスに言った時、イエスは「わたしの時はまだ来ていません。」と言われました。婚礼とは、人と人が結び合う祝いの時です。人生の中でも最も晴れやかな時です。その晴れやかな祝いを飾る喜びのぶどう酒がなくなるということは、何と寂しい限りでしょう。その出来事は本当の意味で神と人とが結び合い、愛と信頼で結び合うために必要な、最も大切な何かが欠けていたことを象徴しています。その欠けを補う「時」はまだ来ていませんでした。しかし、「人の子が栄光を受けるその時が来ました。」(ヨハネ12章23節)とイエスは語られました。「その時」とは、イエスが十字架につかれる時です。イエスはこう祈りました。「今わたしの心は騒いでいる。なんと言おうか。『父。この時からわたしをお救いください。』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。『父よ。御名の栄光を現わしてください。』」と。するとそのとき、天から声が聞こえました。『わたしは栄光をすでに現わしたし、またもう一度栄光を現わそう。』(12章27~28節)という御父の声でした。
  • まさに、「この時」、御父も御子も私たちの救いのために「立ち上がられた」のです。イエスを取り巻く人々、とりわけ指導者たちは言葉巧みに群衆をあやつり、だましました。群衆はそれに根無し草のようになびきました。ローマの総督やイエスの弟子たちも、すべてが自分の身を守るためにイエスを裏切りました。
  • だれも信じられない! 何を信じたらいいの? これが詩篇12篇の作者の悩みであり、嘆きではなかったかと思うと、その作者と十字架を前にしたイエスの心とが二重写しに見えてきます。しかし、「今、私は立ち上がる」といわれる御父がおられます。その方によって、御子イエスはなんと死からよみがえられました。イスラエルの民の悩みと叫びを聞いて立ち上がられた主は今も生きておられます。その方の約束(みことば)は混じりけのない純粋なものです。その約束に信頼するなら、正直者(神を信じる者)が決して馬鹿を見ることがなく、恥を見ることがないようにしてくださるのだ、と確信させられます。なぜなら、神の歴史がその事実をあかししているからです。

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