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瞑想Ps127/A

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瞑想Ps127/A

  • 主を信頼することの報酬は「安眠」であることを、詩篇127篇の作者は述べています。新共同訳では「主は愛する者に眠りをお与えになるのだから」とあります。私たちはこの「安眠」を得るために、いわば精を出して一生懸命に働いていると言えます。しかし、主を真に信頼することがなければ、私たちは不安と恐れのゆえに空しい労苦を自ら背負ってしまいます。
  • 2節の「主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えて下さる」という「このように」とは「建てること」「守ること」「食べること」です。つまり、生存と防衛、そして働きの保証です。私たちの主は、私たちが主を信頼して安眠しているときに、すばらしいことをなさっていてくださいます。たとえば、神がアダムの助け手であるエバを創造されるとき、アダムは眠っていました。ダビデの場合にも、彼が眠っているときに、クーデターを企てたアブシャロムが失脚するように神は働いておられました。忙しい働きの最中に起こった突然の嵐の中でもイエスは舟の上で眠っておられました。
  • 信仰の高嶺は「安眠」だと信じます。私たちが頑張らなくても、私たちが寝ている間にも、主が最善を備えて下さっています。なぜなら、主は「まどろむこともなく、眠ることもない」方だからです。そんな信仰の歩みをしたいと、常々、思わせられます。

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