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瞑想Ps130/A

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瞑想Ps130/A

  • 詩130篇は最も「深い淵」(The depths))から主を待ち望むことをイスラエルに呼び掛けている歌です。前篇と同様に、ここでも「私」が「イスラエル」を代表する集合人格となっています。「イスラエルよ。主を待て。主には恵みがあり、豊かな贖いがある。主はすべての不義からイスラエルを贖い出される。」との希望を告白する力強い詩篇です。
  • かつて主は、預言者イザヤを通してご自分の民に「『慰めよ。慰めよ。わたしの民を。』と神は仰せられる。エルサレムに語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍の祝福を主の手から受けた。」(イザヤ40章)と語りかけました。
  • 最も暗いどん底にありながら、そこから解放を信じて待つためには、神への信頼が不可欠です。その信頼は「深い淵」で試され、練られます。決してあきらめることのない神への信仰こそ「いのち」そのものです。それは神を最も喜ばすものです。聖書の中にはそうした物語であふれています。その例として、エジプトの牢獄の生活を余儀なくされたヨセフ、異邦人伝道のためにピリピで牢獄の最も奥の所に入れられたパウロとシラスを挙げることができます。ただし、彼らの「深い淵」は彼らの罪によってもたらされたものではなく、敵という存在によってもたらされた状況でした。いずれにしても、自分たちの努力では這い出すことのできない状況でした。彼らは、人の思いや考えをはるかに越えた神の計らいで、「深い淵」から解放されました。それゆえ、この詩篇は失意の中にある者たちに今も呼びかけています。
  • 「主を待ち望め」の「待ち望め」は「ヤーハル」の強意形ピエル態の命令形です。「待ち望む」と訳される類義語は多くありますが、「ヤーハル」יָחַל (yachal)は、将来になされる神の善を信じて、今日を生き抜く力をもたらす「待ち望み」を意味します。

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