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瞑想Ps131/B

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瞑想Ps131/B

  • 短い詩篇ですが、様々な翻訳を見比べると、その苦心の様子を垣間見ることができます。

    (新改訳)
    1.
    主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。
    及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。
    2.
    まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。
    乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように、御前におります。
    3
    イスラエルよ。今よりとこしえまで主を待て。

    (新共同訳)
    1.
    主よ、わたしの心は驕っていません。わたしの目は高くを見ていません。
    大き過ぎることを、わたしの及ばぬ驚くべきことを、追い求めません。
    2.
    わたしは魂を沈黙させます。わたしの魂を、幼子のように
    母の胸にいる幼子のようにします。
    3.
    イスラエルよ、主を待ち望め。今も、そしてとこしえに。

    (口語訳)
    1.
    主よ、わが心はおごらず、わが目は高ぶらず、
    わたしはわが力の及ばない大いなる事と、
    くすしきわざとに関係いたしません。
    2.
    かえって、乳離れしたみどりごが、その母のふところに安らかにあるように、
    わたしはわが魂を静め、かつ安らかにしました。
    わが魂は乳離れしたみとりごのように、安らかです。
    3.
    イスラエルよ、今からとこしえに主によって望みをいだけ。

    (関根訳)
    1.
    ヤーウェよ、わが心高ぶらず、わが眼おごらず、
    わたしは自らの及ばない高きを望まない。
    2.
    むしろわたしはわが心を静め、黙せしめた。
    その母から乳離れした子のように、わが心はわがうちに静まった。
    3.
    イスラエルよ、ヤーウェにすがれ、今より永遠にいたるまで。 


    ※関根氏は、この詩篇を「低き心」とし、2節の「乳離れした子」は、乳を求める子の烈しさをもはや持たぬことを指す、と注解しています。

    (バルバロ訳)
    1.
    主よ、私の心は高ぶらず、私の目はおごらない。
    私は、身に余ることを、偉大すぎることを、追おうとしない。
    2.
    むしろ、私は魂をしずめ、やわらげた、
    母から乳離れした子のように。私の魂は、乳離れした子のようだ。
    3.
    イスラエルよ、主によりたのめ、今も、世々に。


    ※平和な魂は、なんの不安も虚栄もなく、神に身をゆだねる、子供の心にたとえられているとする。

    (フランシスコ会訳)
    1.
    ヤーウェよ。わたしの心は高ぶらず、わたしのまなこは、おごらない。
    わたしは大いなることも、身に過ぎたくしきことも追い求めない
    2.
    いなむしろ、わたしは魂を静め、やわらげた。
    乳ばなれした幼な子が母のふところにいこうように、
    わたしの魂は、わたしのうちにいこう。
    3.
    イスラエルよ、ヤーウェを待ち望め、
    今からとこしえに至るまで。


    ※この詩篇はヤーウェに対する幼な子のような信頼をうたった珠玉編だとする。乳ばなれした三歳の子は、自分を意識し、母を心から信頼し、母といっしょにいるというだけで完全に満足すると注解している。また3節では、捕囚から帰還後のイスラエルは物質的力や連合軍への依存心を捨てて、ヤーウェに信頼する幼な子のようになった。この依存心はかつて預言者から公然と非難され、そしてイスラエルの崩壊をもたらしたものである、と注解している。

    (リビングバイブル訳)
    1.
    神様。私は思い上がったり、横柄な態度をとったりいたしません。
    知ったかぶりしたり、ほかの者より善人ぶったりもいたしません、。
    2.
    今こうして、乳離れした幼児のように、神様の前でおとなしくしています。
    もう、あれこれ願い事を並べ立てるのはやめにしました。
    3.
    イスラエルよ。おまえもまた、今だけでなく、
    いつまでも、静かに神様に信頼していなさい。



  • この詩篇のテーマは単純明快です。つまり、主を信頼することの重要性を簡潔に語っています。しかし、捕囚前のイスラエルは預言者イザヤが述べたような姿でした。
  • 神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。
    「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、
    落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」
    しかし、あなたがたは、これを望まなかった。
  • これがイスラエルを捕囚へと追いやった要因でした。しかし今、捕囚から解放されて、彼らが悟ったことは、天と地を造られた主なる神を信頼することでした。しかし、この信頼することが人間にとって難しいことなのです。そこに人間の原罪性があります。
  • 神の御子イエスが肉体を取られてこの世に来られて、神を信頼することはどういうことかを私たちに見せてくださった。御子イエスの生涯は、まさに御父の前に幼子のように、御父のふところの中に安らかに住んでおられました。
  • この詩篇131篇の表題は「ダビデによる」とあります。それはダビテの霊性がより濃く表わされた詩篇と言えるということだと思います。ダビデの霊性は、いつまでも、主の家に住み、主を信頼する者たちの模範でした。その意味において、御子イエスは、まさに、ダビデの「主」であられました。

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