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瞑想Ps143/A

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瞑想Ps143/A

  • この詩143篇は、追い詰められた状況の中で作者がどこに心を向けたかが瞑想のテーマです。ダビデ自身の放浪生活は、ある意味で暗闇に閉じ込められた生活を余儀なくされました。そのために、「私の霊は私のうちで衰え果て、私の心は私のうちでこわばりました」(4節) とあるように、ダビデの心はしばしばくじけそうになったようです。それも人生の中で最も血気盛んな時期(30~40代)でした。
  • しかし、そんな状況の中でダビデは、昔の日々を「思い出し」ながら、神のなさったすべてのことを「思い巡らし」、御手のわざを「静かに考えて」います。こうしたことができるのは、すでに十分な恵みの経験があったゆえです。つまり神との基本的な信頼が与えられていたということです。そうした者に神はさらなる「隠遁への召し」を与えられるようです。その召しの目的はひとえに心が完全に主に向けられることにあります。「あなたに向って、・・私のたましいは、渇き切った地のように、あなたを慕います。」(6節)ということばが、それを物語っています。
  • 「隠遁への召し」の目的は、「想起」と「渇仰」です。これは神に仕える者として選ばれた者にとって、通らなければならない必修科目と言えます。神とのかかわりにおける深化、成熟は、時間をかけてゆっくりとなされます。神は決して急がれません。ダビデにしても、バビロンでの捕囚を余儀なくされたイスラエルの民も、いわば苦しみの枷によって熟成させられました。

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