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瞑想Ps144/B

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瞑想Ps144/B

  • 詩144篇において強意形(ピエル態)の動詞に注目すると、1節の「鍛えられる」と訳されている「ラーマド」לָמַדと3節の「顧みられる」と訳されている「ハーシャヴ」חָשַׁבの二つの動詞です。この二つは密接に連動していてこの詩篇の特徴をよくあらわしているだけでなく、ダビデの霊性の特徴をも表しています。
  • 「ラーマド」לָמַדは、本来、「教える」という意味です。バビロン捕囚後には「学ぶ」という意味が加えられています。主の尊い教えを身をもって(苦しみをとおして)学んだからです。詩篇144篇では「鍛えられる」(新改訳)と訳しているのは、ダビデが敵との戦いにおいて、戦いの術を繰り返し繰り返し主から教えられたからです。詩篇18篇34節にも「戦いのために私の手を鍛え」と同じ思想がありますが、ここも同じく「ラーマド」לָמַדが使われています。戦い方を絶えず教えられ、学ぶという継続的な意味合いの強い訳です。ダビデは戦いの術を教えられたことによって勝利に導かれたことを感謝しながら、「人の子とは何ものなのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは」と感動して告白しているのです(3節)。
  • ダビデという人はその生涯において多くの戦いを余儀なくされました。そしてそのひとつひとつの戦いにおいて、その都度、その戦いの術を主に伺った人でした。ゴリアテとの戦いで用いた石投げによる武器でしたが、同じ方法で戦いに望むことはありませんでした。キリスト者もこの世にあっては戦いを余儀なくされています。それゆえダビデから学ぶべきことは多いのです。脚注
  • 新約においては、霊的戦いにおける戦いの術を教えてくれるのは聖霊です。それゆえ神の子どもとされた者たちは聖霊の導きの中に歩むことを訓練される必要があります。そしてそれは神の恩寵として備えられているのです。日々の戦いにおいて勝利する術を私たちに教えようとしておられます。しかしその秘訣を身につけることは必ずしも容易ではありません。聖霊による戦いの術を身につけるには、神への信頼という基礎的なかかわりが育っていなければならないからです。
  • キリスト者となっても私たちのうちには、神に従うことを喜びとする御霊と、神以外のものに頼ろうとする肉が存在しています。この二つは両立できません、なぜなら、互いに対立しているからです。ダビデは人の力や武器に頼ることなく、神に頼ることを選びとったがゆえに、多くの戦いに勝利することができました。たとえ自分の判断で失敗しても、再度、主の指示を仰いで勝利へと導いています。神の御霊は戦いにおいて戦う術を私たちに教えてくれる神の賜物です。ですから、私たちは日々「に、自分のうちにある「肉」を満足されることのないように、「御霊に導かれて進む」(ガラテヤ5:24)必要があります。
  • この詩篇におけるダビデの霊性の特徴は、日々の戦いに勝利する戦いの術を主から鍛えられたことです。そしてそれは新約の時代に生きる私たちが「御霊に導かれる」ことを示唆していると信じます。

2011.7.29


脚注

ダビデの生涯における具体的な戦いの術

① ペリシテ人ゴリアテとの戦い(1サム17:48~50)
石投げを用い、「万軍の主の御名によって」立ち向かった。

② ケイラのペリシテ人との戦い(1サム23:2~5)
部下たちがおそれていたにもかかわらず、ダビデは「行って戦え」との主のことばに従った。それにより大損害をペリシテに与えた。

③ サウル王の追跡(1)(1サム24:4)
ダビデはサウル王の上着の裾を切り取っただけで、主に油注がれた者に対して決して手を自ら下すことをしなかった。

④ 自分を侮辱したナバルに対して(1サム25章)
ナバルの妻アビガイルの助言を聞き入れて、自分で復讐することをしなかった。

⑤ サウル王の追跡(2)(1サム26:11)
洞窟で寝ていたサウルの槍と水差しを奪っただけで、主に油注がれた者に対して決して手を自ら下すことをしなかった。

⑥ ダビデの失策による危機(1サム30章)
ダビデはペリシテとの戦いで留守の最中にアマレク人によっツィゲラグという村が襲撃され、家々が焼き払われ、妻や子どもたちが全員連れ去られるた。この事件はダビデをして非難の矢面に立たされることになった。ダビデを守り助けようとする者はだれひとりとしていなかった。孤立を余儀なくされたダビデはひとり主の前に静まった。そしてそこからダビデは「主によって奮い立ち」、追跡するように主から示され、その結果、すべてを取り戻すことができただけでなく、敵の分捕り品を戦いに参加しようとしなかった者たちにも平等に分配することによって、戦いの勝利の栄光を主に帰した。

⑦ サウル王が亡くなった後(2サム2章)
ダビデは主に伺い「ユダのひとつの町(ヘブロン)へと上っていった」。ダビデはイスラエルの王として神から選ばれていたが、サウル家とダビデ家との間に確執があったため、7年間、ヘブロンで過ごした。つまり、神の時をそこで待った。

⑧ サウル王家との戦い(2サム2:14~17)
サウル側の将軍アブネルの家来とダビデ側の家来とがひとりずつ出て戦うやり方をし、ダビデ側が勝利した。

⑨ ダビデがシオンの要害を攻め取る(2サム5章)

⑩ ダビデがイスラエル全体の王となってからのペリシテとの戦い(2サム5章)
ダビデは一度目の戦いにおいて主に伺うと「上れ」との主の声があった。また二度目の戦いにおいては「・・の音が聞こえたなら、その時、あなたは攻め上れ」との具体的な指示があった。ダビデはそれに従い勝利を得た。

⑪ 周囲との戦いにおいて(2サム8章)
ダビデはペリシテ、モアブ、アラム、エドム、アモンといった周囲の諸国との戦いにおいて勝利を得た。

⑫ アブシャロムの反乱(2サム15:13~18、18:9)
ダビデは戦うことをせずに都落ちをする。しかし神はダビデを守り、アブシャロムは自滅する。そしてダビデは再び王位に返り咲いた。

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