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瞑想Ps145/A

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瞑想Ps145/A

  • 詩145篇は一切の嘆願もなく、神の王国(御国、神の国、His Kingdom)の支配と祝福が最大級の表現によって表わされています。「主の祈り」の中に「御国が来ますように」という祈りがありますが、聖書のいう御国(Kingdom)を正しく理解するならば、その祈りはより切実なものとなるに違いありません。
  • 最大級の表現は、その偉大さ、その支配の領域、時間と空間を越えて及んでいます。 All(「すべて」「みな」)がなんと13回も使われています。そこには「驚き」と「ふさわしさ」(worthy)が網羅されています。
  • キングダム(王国)の思想は、私たちが神を知り、神の主権と支配を知る上できわめて重要です。このキングダムに、私たちはイエスキリストを通して新しく神の子として生まれ、生かされています。私たちがこの地上で生きていますが、目に見えない王国の民の一人として迎えられ、生かされています。その視点からすべてのものを見通して生きる訓練が必要です。
  • 昨今、賛美の世界でも、このキングダムをテーマとした歌が数多く作られています。そのキーワードは、主権、力、支配、王の王、主の主、ハレルヤ、アーメン・・・などです。しかし、歌われる内容はキーワードが並べられたものがほとんどです。しかし感謝なことに、詩145篇はギングダムの祝福を見事に描いています。そのような「御国が来ますように」と祈ります。

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