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瞑想Ps2/A

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瞑想Ps2/A

  • 詩篇2篇を瞑想しながら、この詩篇は第1篇とあわせて考えるといいと思いました。なぜなら、この第1篇と第2篇の中に詩篇全体の思想がコンデンスされているからです。
  • ひとりの作家の作品でいうならば、処女作のように、その作品の中にその作家が生涯かけていく思想や主題、あるいは表現といったものが包含されています。そのように、この第1篇と第2篇には、詩篇全体の思想がほとんどコンデンス(凝縮)され、3篇以降で、それが具体的に展開されて行きます。その意味において、第1篇と第2篇にコンデンスされている主要な思想を整理してみることは、これから詩篇を一篇ずつ瞑想していく上で役立ちます。瞑想のためのいくつかの知的材料となりうるキーワードを、私なりに整理してみました。

1. 聖書の幸福観

  • まず、第1篇と第2篇に共通する「幸いなことよ」(新改訳)に注目します。尾山訳では「ああ、なんと、幸いなことだろう。」ですが、この訳のほうが、実感がこもっているように思います。第1篇では、積極的な意味で、幸いな人とは、主の教えを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ「その人」でした。そして第2篇では、「幸いな」(12節)人とは、「すべて主に身を避ける人」です。いずれも「幸いな人」とは単数で表わされます。ちなみに、神に敵対する者は単数ではなく、複数で表わされています。
  • 「身を避ける」ということばをいろいろな訳で見ると、口語訳では「寄り頼む」、関根訳「依り頼む」、共同訳では「避けどころとする」、LBでは「信頼する」、NKJV訳では trust となっています。この「身を避ける」と訳されたことばは、実に、詩篇全篇に、頻繁に、しかも均等に登場します。それだけ神との関係に重要なキーワードと言えます。
  • ところで、どこに身を避けるのか、だれのもとに身を避けるのかといえば、それは「主」です。この主が、いかなるお方であるかを知っているなら、その人は幸いです。しかし現実の生活の中で、主を知らず、その方に身を避けることができないとき、人は平安を失い、嘆かざるを得ない状況へと陥るのだと思います。
  • 人間の最も重要で基本的なニーズというのは<生存の保障>と<防衛の保障>でしょう。このふたつはすべてのニーズの中でもとりわけ優勢なものと言えます。<生存の保障>とは食糧の供給のことであり、防衛の保障とは敵や禍いや事故からの守り、保全(セキュリティー)のことです。
  • 果たして、私たちは礼拝のときに、神が主であることを喜んで認めたとしても、実際の生活で経済面や守りの面という点になると、自分の心のおもむくままに決めてしまうことが多いのではないかと思います。そして、神ならぬものに頼ろうとしてしまうのです。こうして偶像礼拝の罪に陥っていく。それが旧約におけるイスラエルの民の歴史といえます。しかし彼らは、捕囚という痛い経験を通して、偶像から手を切り、神のみ教えと守りの中に自らを置くことを、明確に、自覚的に決意していきました。その決意に至る心の内面的・信仰的な戦いの叙述が、後に、詩篇という結晶となったと思われます。
  • 神は私たちが生存するために、衣食(覆うという意味で「住」も含まれる)が具体的に必要であることを知っておられます。旧約の民は、荒野において、日々、マナによって養われました。イエスも生存に必要なものを天の父は備えてくださると教えました。しかしそれだけが人の生存を保障するものではないことをも付け加えました。つまり、生存の保障とは「神の国とその義とを第一に求める者」に約束されており、その義とは、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばに」よって実現されると教えました。
  • 特に、旧約の時代、捕囚を経験した民たちはこのことに目が開かれました。そして、当為(守らなければならないから守るということ)ではなく、自発的な心をもって、主のおしえを愛し、それを慕いました。なぜなら、主のみおしえこそ「完全で、たましいを生き返らせ、わきまえない者を賢くし、人の心を喜ばせ、人の目を明るくする」(詩篇19篇7~8節)ものだということに霊の目が開かれたからです。
  • 詩篇2篇の「主に身を避ける」とは、<防衛の保障>の祝福をもたらします。防衛を表わす用語として、盾、岩、避け所、とりで、助け、力・・といった表象が用いられます。私たちが身を避けることのできる方がだれであるのか、はっきりしている時は賛美がなされ、それがはっきりしないときは嘆きとなって表われます。
  • 第1篇の「幸いな人」とは、主のおしえ(みことば)を通して私たちに生存の保障をもたらすお方を親しく知ることのできる人、第2篇の「幸いな人」とは、私に防衛の保障を与えるお方として知り、すべてを信頼し、ゆだねることのできる人のことを述べているように思います。私たちクリスチャンは、この方を知り、この方との親しく深い関わりを通して、この方を証しする責任をゆだねられていることを心に留めたいと思います。

2. 人間の力を凌駕する圧倒的な神の力

  • 「天の御座に着いておられる方は笑う」という表現は、詩篇ではここと、他に二か所(37:13, 59:8)にしかありません。詩篇の視座は、神の視点から物事を見るという見方です。その視座は、私たちに「安息」「確信」「平安」「希望」をもたらします。いつの時代にも、そして今日においても、神に敵対する勢力は存在します。バベルの塔を建てようとしたときも、またイエスを十字架につけたときも、そしてやがてキリストの再臨前にすべての国民が神の民イスラエル(ユダヤ人)を攻撃するときも、地上の支配者たちは「主と、主に油注がれ者」とに逆らうのです。
  • 詩篇の中に「敵」ということばが多く出てきますが、その多くは、神に逆らう者のことです。詩篇第1篇では「悪者」ということばで表現しています。この敵の攻撃に対して、策略に対して、「正しい者」たちが天の御座という視座からものごとを見ることができるならば、嘆きは賛美へと変わるはずです。この視座を養い、さらにしっかりと身につけていたいものです。
  • 高き御座から見下ろしておられる神の荘厳な姿を思い起こすことによって、その神に身を避ける者に、落ち着きや、内なる静けさと確信が与えられます。

3. 油注がれた御子を礼拝せよとの招き

  • 「油注がれた者」のことをヘブル語で「メシア」と言います。ギリシヤ語ではクリストス、英語ではクライスト、日本語ではキリストと言います。旧約では、王、預言者、祭司に神の代理者としての権能を与え、その働きをするために油が注がれました。6節で「わたしは、わたしの王を立てた。わたしの聖なる山、シオンに。」とあります。「わたし」とは神のことであり、「わたしの王」とは神の代理者としての王のことです。旧約時代にはダビデ、ソロモンなど多くの王が立てられましたが、その多くの王が神の代理者としてのあり方に失敗しました。そこで神は特別に「わたしの子」を立て(7節)て、神の真の代理者としての王を立てられました。それが「御子」であり、神はやがて御子によってご自身が御父であることをあかしされます。詩篇2篇はそのことを預言しています。それゆえ、この詩篇2篇は「メシア詩篇」と呼ばれます。
  • 御父はこの御子に敵の審判をゆだねられます。御子は「鉄の杖(曲がることのない権威の杖)」で、敵を打ち砕き、全世界を統治されます。その日は刻々と近づいています。勝利はすべて十字架と復活のみわざを通してなされましたが、この世において、それが目に見える形で実現するのはまだ先のことです。シオンに立てられたメシアが勝利をもって諸国を治め、世界を支配するという枠組みは、キリストの再臨によってもたらされる千年王国において実現します。そしてその実現が間近に迫っているのです。それゆえ、人称なき存在(作者)は、全世界のこの世の支配者たちに降伏を呼びかけ、御子に対する礼拝を呼びかけているのです。
  • 「悟れ」(目を覚ませ)、「慎め」(教えを受けよ)、「恐れつつ主に仕え、おそれつつ喜べ」と呼びかけます。昔、中近東では、支配者に対する忠誠と従順を表わす行為として足に口づけしたようです。「御子に口づけせよ」とは、御子を礼拝するようにとの招きです。それは、主の怒りから免れるために、自らの道で自滅しないように、神の代理者である油注がれた御子を礼拝することが呼びかけられています。
  • 神が王であるという思想は詩篇の中に数多くあります。たとえば詩篇93篇、96篇、97篇、99篇がそうです。王である小羊イエスは、今、御父の右の座に着き、大祭司して、私たちのためにとりなしておられます。ですから、たとえ、どんな問題(艱難、苦しみ、迫害、飢え、危険等)が襲ったとしても、だれも神の愛から私たちを引き離すことはできません。なぜなら、この「油注がれた方」によって、私たちは圧倒的な勝利者となることが定められているからです。 

意を決して、詩篇の瞑想を第1篇からスタートしたとて、まず多くの方がこの第2篇でつまずくのではないかと思います。というのも、詩篇2篇は神の救いの計画の全貌が背景にあるからです。その理解がないと、この詩篇はよく分かりません。いわば、「つまずきの詩篇」のひとつと言えます。逆に、この詩篇が理解できるようになれば、聖書全体が見えているはずです。

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