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瞑想Ps2/B

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瞑想Ps2/B

  • 詩篇2篇と詩篇1篇は、詩篇における「幸福観」を知る上で重要な詩篇だと思います。詩篇1篇の幸いは、強制や義務からではなく、主体的、自発的に「主の教えを喜びとする」ことでした。そして詩篇2篇の幸いは、「主に身を避けること」(詩篇では、主を信頼することを「主に身を避ける」と表現します)です。しかもこの二つの詩篇は、他の詩篇を包括するほどの内容をもっています。「主を信頼する」とはどういうことか、ある視点を持たなければ難しいことではないかと思います。その視点とは神の全体像を知ることだと考えます。
  • 全体像を知ることで、自分が今置かれている状況を知ることができ、主を信頼するということが身に起こってくるからです。単に、愛の関係といっても、それを裏づける神の支配原理を知ることなしには、本当の意味で主を信頼することはできないと思います。
  • 詩篇2篇は、神の救いの計画の全体の概要を示しているという意味において預言的な詩篇と言えます。すでにキリストの初臨においても神の勝利の布石は置かれたわけですが、キリストの再臨は詩篇2篇を成就します。私たちの現実におけるさまざまな不条理な事柄でさえも、神の救いの歴史の全体像の中で理解することが求められています。そしてそれが神への信頼をより深めていくと信じますが、なかなかこれができないのが私たち人間です。いつの時代においても、神と神に油注がれた者に敵対する勢力は存在します。それはサタンが神と人とのうるわしい信頼関係を妬むからでしょう。
  • しかし詩篇2篇で記されているように、「天の御座に着いておられる方は笑う」のです。つまり、ものともされない、動じないのです。むしろ、神ご自身が自ら王を地上に立て、鉄の杖で彼らを打ち砕かれるという構図がはっきりと示されています。私たちはこの構図の森の中に存在しています。このような構図を私たちがどれだけ信仰によって見ることができるかによって、神への信頼は強まると信じます。
  • 「幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は」これは詩篇の重要な「幸福観」です。そして、この「幸福観」を味わうことこそ「マリア・スタイル」であり、サムエル・ミニストリー(詩篇の瞑想)の目的とするところです。
  • 御子イエス・キリストの地上での歩みと試みのすべての焦点は、御父への信頼でした。十字架の出来事はその頂点と言えます。「わたしを離れてはあなたがたは何もすることができません」と言われた御子、御父に対する信頼を最後まで貫いた御子に、私たちがしっかりと結びつくことが「救い」と言えるのではないかと思います。

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