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瞑想Ps20/A

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瞑想Ps20/A

  • 詩20篇は、民が王のためにとりなす最初の詩篇です。王とは直接的にはダビデのことであり、いつの時代においてもダデビはイスラエルの理想的な王のモデルでした。私はこの詩篇のキー・ワードを最後の節、「主よ。王をお救いください。私たちが呼ぶときに私たちに答えてください。」(9節)としたいと思います。このとりなしの祈りの中に、神の立てたリーダーを尊敬し、従順に従おうとする民の姿があるように思えます。
  • 「王をお救いください」という祈りは、口語訳、新共同訳、LB訳のすべてが「王に勝利を与えてください」と訳しています。王の勝利を願うとりなしは、1~5節において、いろいろな表現が用いられていますが、結局のところ、「勝利が与えられるように」という一言に尽きます。しかもその勝利は、王一人の戦略的な能力、治世の実力によってもたらされるものではなく、神ご自身によってもたらされるものです。このことを知る者たちは、神から権威を授けられた指導者のためにとりなしているのです。
  • しかし私は「王に勝利をお与えください」と訳した聖書よりも、「王をお救いください。」と訳した新改訳の方に、より深い意味が込められているように感じます。というのは、ただ単に、戦いに勝利できればいいということではなく、イスラエルの王制の理念に関わるからです。確かに勝利が神によってもたられることをいつも謙虚に受けとめる指導者の存在こそ、他の国にはないイスラエルの独自の王の理念でした。王がそこから逸脱するとき、神の聖はイスラエルから離れていくことが、ソロモン王以降のイスラエルの歴史に証明されています。イスラエルの王とは、自らがあくまでも神の代理者に過ぎないことを知り、主の御名によってのみ勝利がもたらされることを知る王であり続けること。それこそ王にとっての救いであり、国全体の救いでもあるからです。他の国の王制とは異なるイスラエル独自の王制の理念に立ち続けることが、王に従う民のとりなしの祈りでなくてはなりません。しかもその祈りは、戦いの時だけではなく、日常的にささげられていかなければならないものです。
  • この民たちのとりなしの祈りは答えられています。6節がそうです。「今こそ、私は知る」とあります。ダビデは、とりなしの祈りによって、神こそ大勝利を与えてくださる方であることを、「今こそ」、つまり「あらためて」思い起こさせられたということではないかと推察します。この気づきの裏には、神が立てられた王を愛し、その王を尊敬し、王に従おうとする民たちのとりなしの祈りがあったことを忘れてはならないと思います。
  • そして今度は、ダビデが民たちに呼びかけます。7節「ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。」と。これはとても味わい深いことばです。「主の御名を誇る」とはどういうことなのでしょうか。
  • 「いくさ車」とは戦車のことであり、「馬」とは軍馬のことです。当時の軍隊では馬が引く戦車は特別に恐れられていました。なぜなら、それは、機動性において、殺傷力において、恐るべき力をもっていたからです。ところがイスラエルはその戦車や馬をもってはならなかったのです。「あなたは彼らの馬の足の筋を切り、戦車を焼き払わなければならない。」・・これがかつてのイスラエルの指導者ヨシュアに語られた神の命令でした(ヨシュア記11章6節)。この命令はイスラエルの戦いにおいて変わらない神の命令でした。軍事的にはまことに変わった戦略です。
  • ところが神は、一風変わった手段(病、うわさ、雷、雹、水かさを増した川の流れ、等)を用いて、自分に従順な人々のために介入し、彼らに勝利をもたらしました。ダビデは戦いにおいて神の戦略に従いましたが、次の王ソロモンに至ってからは、国を守るために、この世の国と同じく軍馬を誇り、その戦車を誇りとするようになっていきました。その結果が、バビロン捕囚という亡国の経験です。
  • 神の民イスラエルは、防衛のために主以外の何者にも頼ってはならなかったのです。さもなくば、主に向かって心がおごり、自分たちの手で戦いを勝ち取ったと言うでしょう。その点においても、イスラエルの王が守られるためにとりなしの祈りを必要としたのは言うまでもありません。
  • この詩篇の中に、聖書的なリーダーシップとフォロワーシップの麗しい関係を見る思いがします。リーダーはしっかりとしたフォロワーたちによって支えられるものです。ダビデは王として周囲の国と多くの戦いを余儀なくされました。その戦いにおいて勝利を民と共に喜ぶ(5節)ことができたのは、ひとえに、この関係が麗しいほどにしっかりとしていたからだと信じます。「主よ。王をお救いください。私たちが呼ぶときに私たちに答えてください。」(9節) 王を信頼する者たちの王のためのとりなし・・・この「とりなしの祈り」こそ、この詩篇の魅力です。

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