瞑想Ps24/B
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瞑想Ps24/B
- 詩篇24篇は力強い神の主権の宣言から始まります。創世記1章1節の「はじめに神が、天と地を創造された」という宣言と似ています。その後で、主の山に立つことができるにふさわしい者は誰かと問いかけます。この詩篇で、この箇所に心が留まると律法的なクリスチャンとなってしまうでしょう。この詩篇のポイントは「栄光に輝く主」を喜んで歓迎するところにあります。心の門、心のドアを開けて主を迎え入れること、Welcome the glorious king! そのことによってはじめて私たちは主の山に登るにふさわしい者となることができるからです。
- この詩篇から黙示録3章の有名なみことばが浮かんできます。「見よ。わたしは戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開くなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」と主が語っている箇所です。「共に食事をする」とは、聖書では親しい交わりを意味します。福音書の中には食事を共にする場面が多く出てきますが、それは終末論的な救いの成就を示唆しています。主の豊かな交わり、御子が御父にいつもとどまっていることが、「共食」の恵みであり、教会ではそれを聖餐として味わっています。「共食」はアットホーム(自分の居場所、自分が安心してありのままでいられる場所)な感覚がないと、その祝福を味わうことができない世界です。
- 主は力ある「万軍の主」であり、絶対的な主権を持っておられますが、私たち人間の同意なしには介入できません。なぜなら神が私たちに自由意思を与えておられるからです。そしてそこに人間の尊厳があります。永遠につながるいのちへの門を私たちが自ら開くことで、栄光に満ちた王なる主が、私たちの心の王座に着き、私たちに栄光に満ちた立場と務めを与えてくださるのだと信じます。