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瞑想Ps26/A

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瞑想Ps26/A

  • この詩26篇で特徴的なことばと思われるのは「誠実」ということばです。このことばは実に重いことばのように思います。ダビデは2節で「私が誠実に歩み(続けて来た)、I have walked in my integrity」と語り、11節では、不誠実で、偽善と放埓と賄賂による利得に満ちた世の中にあって、「しかし、私は、誠実に歩みます I will walk in my integrity」と宣言しています。しかも、「主よ。私を調べ、私を試みてください。私の思いと私の心をためしてください。」と言っています。「よろめくことなく、主に信頼し」てきたことを述べています。こんなに自信をもって言えるダビデはすごいと思います。新約聖書によれば、誠実は御霊の実のひとつです。私もそのような実を結びたいと願います。
  • 私たちは人を見るとき、その人の才能とか、働きとか、目に見えるものに心が奪われてしまうことがあります。しかし、神が人を見るときはそうではありません。神が喜ばれるのは人柄です。人格です。神や人に対する心の態度です。ダビデはそのことをよく知っていたのだと思います。ちなみに、サウル王が神によって退けられ、新しい王に油を注ぐべくエッサイ(ダビデの父)のところに遣わされた預言者サムエルは主の声を聞きます。「人はうわべを見るが、主は心を見る」と(Ⅰサムエル16章7節)。そしてエッサイの8人の息子たちの中から最年少のダビデが選ばれたのです。そのいきさつをダビデが聞かされていたと思います。神が喜ばれるのは「誠実」です。なぜなら、神ご自身が誠実な方だからです。
  • 預言者エレミヤは捕囚の民に「永遠の愛をもって、わたしは(主)はあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに誠実を尽くし続けた。」と告げています。 しかしそれに対する神の民の誠実は頼りないものでした。預言者ホセアによれば神はこう語っています。「エフライムよ。わたしはあなたに何をしようか。ユダよ。わたしはあなたに何をしようか。あなたがたの誠実は朝もやのようだ。朝早く消え去る露のようだ。・・私は誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。」(ホセア6章4、6節)。と。そして、「あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。」(同、10章12節)と悔い改めを迫っています。預言者ミカも「・・主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない。誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」と主のことばを語っています。
  • 詩26篇のダビデ、そして預言者たちの神のことばを通して、主は、何よりも誠実を喜ばれることであること、それゆえ悔い改めて、誠実を愛し、誠実の実を刈り取るように、へりくだって神とともに歩むようにと語ってくださっています。私はダビデのように「主よ。私は誠実に歩み続けてきました」とは言えません。むしろ「主よ。私が誠実に歩めるように助けてください」と祈ります。

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