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瞑想Ps27/A

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瞑想Ps27/A

  • この詩篇は私の大好きな詩篇です。なぜなら、ダビデの生涯の秘密がこの詩篇にあるからです。それは4節です。「私はひとつのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。」
  • この箇所を読むとき私の心はいつも感動で震えます。ダビデの生涯を貫き通している情熱、ダビデが生涯をかけて求めたもの、彼の心をとりこにした情熱、ダビデの唯一の願いと目標がここに記されているからです。ダビデはイスラエルにおいて最も偉大な王であり、有能な指導者でした。戦いの勇士であると同時に、詩人、音楽家でもありました。しかしそれ以上に、彼を特徴づけているのは、真の礼拝者としてのダビデの姿です。
  • 「ひとつのこと」(One thing)とは、第一のこと、最も優先すべきこと事柄、それを得るならば他のすべてのことが正しい位置を占め機能していく、そんな位置を占める要となる事柄です。ダビデはそんな事柄があることを知っていました。だから求めたのです。「私はそれを求めている。」(I will seek that)とあります。ここに私はダビデの強い意志を感じます。求めなければ得られない、自動的には得られない事柄なのです。それは具体的には「主の家に住むこと」です。有名な詩23篇の結論も「私は、いつまでも、主の家に住まいましょう」とありました。「主の家に住む」ことは、詩篇の中のきわめて重要なキーワードだと信じます。
  • 「主の家に住むこと」、その目的はまず「主の麗しさを仰ぎ見る」ためです。「主の麗しさ」、つまり、心が奪われてしまうような感動です。それはすでに詩23篇にあるように、羊に対する羊飼いの恵みに満ちた扱いの中に、さらには、客人を心からもてなす主人の姿の中にみられるものです。その「主の麗しさを仰ぎ見ること」がダビデの人生の力、生きていく力でした。「主の家に住むこと」のもう一つの目的は「主の宮で、思いにふける」ためです。「思いにふける」(新改訳)とは、口語訳で「尋ねきわめる」、新共同訳では「朝を迎える」、LB訳では「黙想にふける」、J.アプリ訳では「拠り所たのみてかまえん」と訳されています。NAB訳では、to contemplate と訳されていて、主の御顔をじっと見つめ、主のことを熟考しながら、黙想する、沈思する、瞑想するという意味合いを連想させます。これはこの世からの逃避ではなく、むしろ、この世において勝利するためのものです。主の宮で悟りと確信を与えられ、新たな上からの力に満たされるための黙想、瞑想です。これはマリヤのライフスタイルです。
  • イエスも「神の国とその義とを第一に求めなさい」(マタイ6章33節)といわれましたが、ダビデの「ただひとつのこと」と同じものです。こうした生き方を築くことは現代において決して容易ではありません。むしろ逆行するライフスタイルと言えます。
  • ミヒャエル・エンデの『モモ』という作品があります。功利社会の中で人々の大切な意味ある時間を奪い取っていく時間泥棒から、時間を取り戻そうとする女の子の物語です。この作品は現代に生きる私たちにとても大切なメッセージを伝えています。現代の私たちは生存と防衛の保障を得るために、実に多くの時間を奪われているのです。このことに危惧の念を抱くことなしに、イエスの言われた「神の国とその義とを第一に求めなさい」という勧告の重さを理解することできません。ダビデのように、第一のことを第一にすることを選び取るならば、この時間泥棒との戦いを避けて通ることはできないのです。詩27篇4節のことばは、ダビデ自身の戦いであり、その戦いに勝利することが、礼拝者として生きようとするダビデの情熱でした。そしてこれは、ダビデだけでなく、すべてのクリスチャンの戦いであると信じます。意識改革という戦いが余儀なくされます。大きなチャレンジです。ですから、こう祈ります。「主よ。ダビデのように、この戦いに勝利できる者となりたいのです。この私を助けてください。」

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