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瞑想Ps3/A

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瞑想Ps3/A

  • 3篇は、2篇12節「幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は」の実践版です。主は、私たちの基本的ニーズである防衛の保障となってくださる方ですが、3篇においては、ダビデはそのことを「あなたは、私の回りを取り囲む盾」と告白しています。この「盾」という表象について瞑想したいと思います。
  • 詩篇において、神を「盾」(「マーゲン」מָגֶן)として表現している箇所はなんと19箇所もあります。「身を避ける」ということばと同様に、詩篇全体に、しかも、均等にちりばめられています。これから何度も味わうべき重要なキーワードの一つです。「私の盾」「私たちの盾」「救いの盾」「すべて主に身を避ける者の盾」などと表現されています。
  • 「盾」は敵に対する保護を表わす象徴的な表現ですが、それに類似した用語として、「とりで」「やぐら」「身の避け所」「助け」「力」「岩(巌)」「救いの角」が考えられます。また、盾には「大盾」という別の用語があり、詩篇の中では3回使われています。詩篇91篇では、「大盾」は、「とりで」と共に、親鳥が羽を広げてひなを抱きかかえるイメージです。保護するイメージは「盾」も「大盾」も変わりません。詩篇35:2では「盾(「ツィンナー」צִנָּה)と大盾(「マーゲン」מָגֶן)とを手に取って、私を助けに、立ち上がってください。」とあります。ちなみに、前者の「ツィンナー」צִנָּהは、詩篇においては3回(5:12/35:2/91:4)使われています。「円盾」とも訳され、取っ手付きの円形の小盾を意味します。
  • ところで、ダビデが3篇で主を「私の回りを取り囲む盾」として告白しましたが、この告白は、ダビデをして、迫り来る危険の中で「身を横たえて眠る」という祝福をもたらしました。「身を横たえる」という安眠の祝福は次の詩篇4篇にも登場するので、それは明日の瞑想の材料としたいと思います。今朝は、私たちの身を危険から守り、保護するのは、武器としての盾ではなく、また人の盾でもなく、神の盾です。
  • 聖書の中で「盾」(「マーゲン」מָגֶן)という言葉が最初に出て来るのは創世記15章1節です。「これらの出来事の後に、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。『アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。・・』と語られた箇所です。アブラハムは何を恐れていたのでしょうか。
  • 創世記14章には、アブラハムがソドムに住んでいた甥のロトと家族と財産が奪われたことを聞いて、彼を救うために、わずか318人でゲドルラオメルの連合軍と戦って、ロトとその家族、およびその財産のすべてを取り戻したことが記されています。一時は戦いに勝利したものの、いつ敵が再び勢力を盛り返して攻めてくるかも知れないという恐れが、アブラハムの心を支配していたのかもしれません。私たちもそうした恐れに支配されるとき、眠れぬ夜を過ごすこと、しばしばです。
  • そんなアブラハムに神は「わたしはあなたの盾である」と語られました。NKJVでは、I am your shield. TEVでは、I wil shield you from danger となっています。特にTEVでは、I will shield とあり、神の堅い意志が伝わってきます。これは今も変わることのない、神に選ばれ、召し出された者に対する神の防衛の約束です。しかし、なんと私たちはこの約束を受け取ることができずに、恐れ、思い煩いに支配されてしまうことでしょうか。
  • ダビデは自分の最愛の息子アブシャロムに裏切られ、クーデターによって都落ちを経験しました。周りのだれもが、これでダビデの時代は終わったと思わせるような出来事でした。このとき、ダビデは、自分をこれまで支えてくれた主に向かって「あなたは私を取り囲む盾」と告白したのです。危機の最中でのこの告白に、私はダビデの信仰者としての真の姿を見せられた気がします。
  • 信仰告白とは、神の約束に対して信仰が結び付けられることです。もし不信仰が結びつけば、つぶやきや恐れとなって心を支配します。しかし信仰が結びつけられることによって、主にある安息がもたらされます。果たして、私は、日々の生活の中で、神の約束をどこまで真剣に受け止めようとしているのか。問われている気がします。
  • 神のみこころは、私たちが様々な問題や心配事に取り込まれたとしても、神の平安を経験しながら生きることだと信じます。主にある安息の習慣化、それはダビデがしたように、「私を選び、召してくださった主は、私の盾です」と告白することだと気づかされます。私たちはなんと恐れやすい存在でしょう。そのことを神は知っておられます。ですから、聖書の中で、神は私たちに「恐れてはならない」「心配してはなりません」「思い煩ってはならない」と、繰り返し、繰り返し呼びかけられておられるのです。
  • 今朝、私はダビデと共に、「主よ。あなたは私を取り囲む盾」です」と告白いたします。

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