瞑想Ps33/A
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瞑想Ps33/A
- この詩篇には二つの命令が記されています。そのひとつは、「新しい歌を主に向かって歌え」(3節)という命令であり、もうひとつは「主を恐れよ」(8節)という命令です。いずれも主に対する礼拝への招きといえます。
- この詩篇は前の詩32篇からつながっているように思います。というのも、「正しい者たち。主にあって、喜び楽しめ。すべて心の直ぐな人たちよ。喜びの声をあげよ。」(32篇11節)が、33篇1節で「正しい者たち。主にあって、喜び歌え。賛美は心の直ぐな人たちにふさわしい。」とあるからです。ダビデの喜びの叫びは何よりも自分の罪が赦されたことでした。神の福音の中心は罪の赦しにあります。神から逃れることのできない人間の良心の呵責から解放される喜びは、いつの時代においても「新しい歌」をもたらしました。(これについては、拙者の「教会史における『新しい歌』ーその歴史神学的考察ー」を参照)
- この詩篇の第一の命令である「新しい歌を主に向かって歌え」は、聖書の中で9回出てきますが、そのうちの6回は詩篇にあります。そしてその最初に登場するのが詩篇33篇なのです。ですからこの「新しい歌」について瞑想したいと思います。「新しい歌」の特徴がこの詩33篇の中にあらわされています。その特徴とは、喜びに満ちあふれた賛美と感謝の歌です。しかも楽器を巧みに用いながらの賛美です。歴史の中では一切、楽器を用いてはならないという時代もありましたが、ダビデはあらゆる楽器を作り、幕屋や神殿で賛美させました。しかしながら、角笛(ショーファー)以外の楽器の多くが現在は失われています。
- 新しい歌の重要な特徴は、神の恵みに対する<新鮮さ>です。これこそ神との関わりにおける真のいのちです。このいのちがなければ、ただの歌、パフォーマンスの歌となってしまいます。「新しい歌」は常に上から、つまり神から与えられたものでなければなりません。詩42篇3節には「主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた」とあります。
- この詩篇の第二の命令は「主を恐れる」ことです。「主を恐れる」とは、この詩篇によれば、「主をおのれの神とする」ことであり(12節)、「主の恵みを待ち望む」ことです(18節)。また「主を喜び」とし、「主に信頼する」ことです(21節)。これこそ主を礼拝する者の姿です。「主を恐れる者」に主は特別に目を注がれます。そして、人間の最も基本的なニーズである生存と防衛の保障が約束されます。
- しかし問題は、恵みに狎れてしまう私たちの弱さにあります。新鮮な感動や驚きが薄れてしまうのです。それゆえ、この詩33篇の背景には、ただその時だけのことではなく、私たちの弱さを踏まえながらも、絶えず「新しい歌」を歌うようにと命じています。「地は主の恵みに満ちている」からです。作者のように、主の恵みにいつも目を向け、絶えずそれを待ち望む者でありたいと思います。主の恵み(契約における確かな愛)こそ私たちを変える力です。ですから作者は21節で「主よ。あなたの恵みが私たちの上にありますように。」と祈っています。恵みに狎れてしまう私たちの弱さのゆえに、私も今朝、この祈りを祈りたい。
「主よ。あなたの恵みが私たちの上にありますように。私たちがあなたを待ち望んだときに。」