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瞑想Ps34/A

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瞑想Ps34/A

  • この詩篇は、詩31篇、32篇、33篇に流れていた主題が連続して取り上げられています。31篇のキー・ワードは「あなたのいつくしみはなんと大きいことでしょう」(19節)でした(ちなみに、新共同訳では「御恵みはいかに豊かなことでしょう。」)。32篇のそれは「恵みが、その人を取り囲む」(10節)、33篇では「地は主の恵みに満ちている」(5節)、「見よ。主の目は、その恵みを待ち望む者に注がれる」(18節)で、いずれも「主の恵み(いつくしみ)」がテーマです。そして詩34篇ではそのずらしさを「味わい、これを見つめ」ることです(8節)。
  • 8節の「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。」(新改訳)をいろいろな訳でみてみると、

    ①口語訳「主の恵みふかきこと味わい知れ」 
    ②新共同訳「味わい、見よ、主の恵み深さを」
    ③岩波訳「味わいかつ見よ、まことに、ヤーウェは善き方」 
    ④LB訳「さあ、神様を試してみたらどうですか。そして、どんな神様が恵み深いお方か
    思い知るべきです。」 
    ⑤TEV訳 Find out for yourself how good the Lord is. 

となっています。特に、④のTEV訳では、for yourself 、あなた自身が自分のためにそれを見出すべきだとしています。

  • どんなに、他の人のすばらしい体験を耳にしても、それを自分自身で体験することがなければなにもなりません。新改訳で「見つめよ」とありますが、それは、自分自身で体験することであり、気付くべきであり、見出されて、認識することを意味しています。
  • ダビデはこの詩篇で、32篇と同じように「賛美への招き」と「主を恐れること」について述べています。その二つを結び付けているのが8節のことばです。主のすばらしさは、この詩篇の中では、具体的には「すべての恐怖(不安)から」「すべての苦しみから」「すべての悩みから」「救い出された」ことに見出しました。
  • 詩篇瞑想の目的は、主の恵みがいかに豊かで深いものであるかを体験することにあります。主の恵みは、私たちをして、いつも(どんなときでも)主を賛美する力を与え、主を恐れることを教えます。単に、「主を恐れること」とはこういうことだと教えられたとしても、主の恵みの深さを自分で味わうことがなければ、それは単なる教義や知識に過ぎません。主の恵みの深さに感動した者が歴史を動かす者となるのです。
  • その意味では、使徒パウロは主の恵み深きことを味わい知り、それを見出そうとした人のひとりです。彼はこう証しています。「私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私は他のすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。」(Ⅰコリント15章9~10節)。この短いことばの中に、実に3度も「神の恵み」ということばが使われていることから分かるように、彼こそ、主の恵み深きことを味わい知った人でした。ちなみに、彼の書簡には「恵み」(カリス)ということばが100近くも使われています。
  • ダビデやパウロのように、あらゆることにおいて、「主のすばらしさを味わい、これを見つめる(見出す)」者でありたいと願わされます。

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