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瞑想Ps47/A

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瞑想Ps47/A

  • 詩47篇は、46篇、48篇と共に一連の主題を持っていると思います。それは神の永遠の支配による平和の実現です。それの実現は人間の戦いによってではなく、神によってのみ実現すること(46篇)、その平和支配がどのような形においてなされるのか(47篇)、しかもそれはこの地上のエルサレム(シオン)において実現する(48篇)という預言的な内容を持っています。これらの詩篇によって、旧約の人々の歴史観、終末観を知ることができます。
  • まず、46篇8節~10節「来て、主のみわざを見よ。主は地に荒廃をもたらされた。主は地の果てまでも戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。『(戦いを)やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。』」と。この部分はやがて神がすべての人間の戦いをやめさせて、神による平和を実現されるというものです。歴史的にも神が介入されたことが4~7節であかしされています。人間の平和実現はいつも戦いによるものです。ですから、やがてはその戦いによって地には荒廃がもたらされます。
  • 神は戦いを「やめよ」(新改訳)、「力を捨てよ」(新共同訳)、「静まって」(口語訳)、「よく聞きなさい」(LB訳)とあるように、地上の戦いを永久にやめさせて神の平和が実現するという思想がここにあると信じます。しかもそれによって神は国々の間で、地の上であがめられるとありますから、千年王国の預言とみることができます。そのことを裏付けているのがこの詩47篇です。
  • 地上の神による平和の実現は、どのような形においてなされるかと言えば、3節に「国々の民を私たちのもとに、国民を私たちの足もとに従わせる。」とあるように、やがて、神の民イスラエル(ユダヤ人)は民族的にこの地上での支配国とされるのです。これは千年王国の到来を預言しています。そして約束されたカナンの地は完全に受け継がれます(4節)。そのような形で神は国々を王として支配されるのです。これは主がアブラハムとその妻サラに約束されたことなのです(創世記17:6~8, 16参照)。
  • しばらく前に、メシアニック・ジューの方から、ユダヤ人と日本人クリスチャンの終末についての見方の違いを指摘されたのを思い出します。私たち日本人クリスチャンは天国のことを考えますが、ユダヤ人はまず地上での神の約束の実現を考えます。それはこの地上におけるシャロームの実現です。この二つの見方はいずれも聖書のなかに保証されていますが、私たち日本人はこの地上での神の平和の実現(千年王国の到来)に対する期待はそれほど強くないような気がします。しかし、ユダヤ人にとっての救いとはきわめて地上的なことなのです。というのも、神の選びの民ユダヤ人に対する神の約束は完全に実現していないからです。またユダヤ人が民族的に救われて地上の支配国となることなしには、神の救いの計画は完全に実現することはないのです。それは神のはっきりとした計画です。神の計画はやがてユダヤ人も異邦人もキリストの名のもとに一つとされることです(エペソ1章)。そして完全な神の支配、つまり、天国(メシア王国、そして新天新地)が実現するのです。
  • 歴史の終結がどうなるのかが彼らに大きな希望を与えてきました。彼らは「まことに、神は大いにあがめられるべきお方」(10節)として、信仰によって喜びの声を上げているのです。教会でも、私は「手を叩け、すべての国々の民よ、おぉ、主に叫べ、歌を歌え喜びの声上げ。力強い主はわれらの中に、栄光ある主は、国々を取り囲む。」と賛美して歌っています。これからも、神の救いの歴史の終結を仰ぎながら、スケールの大きなこうした預言的賛美を希望をもって賛美できる者となりたいものです。と同時に、ユダヤ人に対する神の救いの計画が実現できるように、なんらかの形で、私も関わっていきたいと強く願わされています。

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