****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

瞑想Ps56/A

Ⅱ/A(42~72篇) | テキストPs56 | 原典テキストPs56 | 瞑想Ps56/B | 礼拝用語Ps56 | 恩寵用語Ps56 | Ps56の「かかわりの構造」 |

瞑想Ps56/A

  • この詩篇の8節、とりわけリビングバイブル訳を取り上げます。それによればこう訳されています。
    「神様は、私が夜通し寝返りを打っているのをご存じです。神様は、私の涙を一滴残さず、びんにすくい集めてくださいました。その一滴一滴は、余すところなく、神様の文書に記録されています。」 
  • この詩篇はダビデがサウル王のもとから逃れて流浪の生活に入ったころの歌であることが表題から想像できます。ダビデはただ一人で逃避行をはじめました。ダビデの下に集まってくる者はまだひとりもいませんでした。自分を受け入れ、助けてくれた祭司とその家族、親族がダビデをかくまったということで皆殺しにされるという痛ましい事件がおきました。回りはすべて敵という状況です。だれかが自分を見つけるかもしれません。「人が私を踏みつけ」「しいたげ」(1節)、多くの者が「戦いをいどむ」(2節)。ダビデのことばをねじまげ、待ち伏せ、付け狙っています。
  • 「夜通し寝返りを打って」眠れない経験をすることがあります。それはどんな理由にしろ、とても辛い経験です。だれにも分かってもらえない辛さ、恐れと不安、・・そんな状況の中で8節が語られています。すべて主語は、「神様」です。

①神様が、私を夜通し寝返りを打っているのをご存知です。
②神様は、私の涙を一滴残らず、びんにすくい集めてくださいました。
③神様の文書には、その一滴一滴の涙が、余すところなく、記されています。

  • ここで言わんとすることは、神が私を受け止めてくださる唯一の味方だという確信です。人生の戦いの中でだれが自分の敵であり、味方なのかを知ることは重要です。自分の涙の意味を理解してくれる者はすべて味方のように思います。しかもその味方は決して多くないかもしれません。しかし、唯一、確かで最も勇気を与えくれる神が味方についてくれるなら、鬼に金棒です。恐れることはありません。しかし神が味方だと言う確信が与えられなければ、私たちは恐れのゆえに涙を流し続けなければならないかもしれません。神が味方であるなら神が戦ってくださいます。ですから、戦いの流れは必ず変わっていくのです(9節)。
  • 人は究極のところ孤独な存在です。たとえ連れ合いがいたとしても、ある領域では孤独から免れることはできません。たとえば死に直面するとき、その死からだれも助けてくれるものはいません。孤独の中でみなそれに直面しなければなりません。そのときの自分の心の複雑な感情のひだをすべて共感できる者などいないかもしれません。しかし、「わかっているのはただこの一時、神様が味方だということです。」このことによって、恐れは逃げ去ります。
  • 使徒パウロもローマ人への手紙8章において「神は私たちの味方である」という力強い信仰の確信を述べています。8章31節以降参照。そこでパウロが言っていることは次のことです。もし、神が私たちの味方であるならば、・・・・

①だれも私たちに敵対できない。なぜなら、すべての助けを与えてくださるから。
②だれも私たちを訴えることはできない。なぜなら、神が義と認めてくださるから。
③だれも私たちを罪に定めることはできない。なぜなら、復活のイエスが父の右の座でとりなしていてくださから。
④だれも私たちをキリストの愛から引き離すことはできない。なぜなら、どんな中にあっても、私たちを愛してくださった方によって圧倒的な勝利者となることができるから。

  • なんというすばらしい力強い味方でしょう。God For Us(Me) 神こそ私たちの味方、私の味方なのです。この確信に立ち続けたいものです。そして言いましょう。「主の御名によって、恐れよ 去れ! 」と。

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional