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瞑想Ps57/A

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瞑想Ps57/A

  • ダビデの放浪生活、荒野における訓練の目的は、ひとえに、「神を信頼する」というこの一点に収斂されます。信頼の絆は、順境の日ではなく、むしろ逆境においてこそ試され、強められます。
  • 詩51篇でダビデが祈った祈りー「神よ。私に・・ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。」-は、様々な試みの中で確かなものとされていきます。そして、56篇3節では、「恐れのある日に、私はあなたに信頼します」と告白しています。「信頼します」という言葉は、「拠り頼みます」とか、「身を避けます」ということばでも訳されています。
  • まず、信頼の消極的表現として、1節では「私のたましいは、滅び(敵の様々な策略)が過ぎ去るまで、御翼の陰に身を避け」ることです。めんどりがひなを覆っているイメージです。ひなは親鳥の覆いの中で安心しています。ダビデも「私は、人の子らをむさぼり食う者の中で、横になっています」(4節)と表現しています。「横になっている」という表現は、詩3篇にも出てきます。息子アブシャロムが起こしたクーデターによって、ダビデが都落ちしたときに歌われた詩篇とされていますが、そのときにも「私は身を横たえて、眠る」(5節)とあります。何という平安な姿でしょう。この平安は神への信頼からくるものです。
  • イエス・キリストも地上に残される弟子たちにこう言われました。「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がせてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネの福音書14章27節a)と。イエスは「わたしの平安」と言っています。この平安はイエスご自身が経験していたもので、それは御父を信頼することによって与えられたものです。ですから、この世が与えるのとは違うと言っているのです。この御父と御子の信頼関係こそ、永遠のいのちと言えます。イエス・キリストの生涯はこの信頼関係―永遠のいのちーの中に、私たちを招くためのあかしの生涯であったと言えます。「父よ。御手にわが霊をゆだねます。」これは、イエスが十字架上で語った最後のことばであり、その生涯を貫いた御父との信頼の絆のことばでした。
  • 詩57篇において、ダビデが神をどのように告白しているかが鍵です。詩57篇では、神を

    「私のために、すべてを成し遂げてくださる神」(2節b)と告白しています。
    God who performs all things for me. (NKJV) / who supplies my every need. (TEV)

  • 同じ告白の表現は詩篇138篇8節にもあります。そこでは「主は私にかかわるすべてのことを、成し遂げてくださいます。」とあります。57篇と内容は全く同じです。この神への信頼が、ダビデの心をゆるぎないものにしているのです。神をどのようなお方として知っているか、それがとても重要なことなのです。しかも、ダビデは神への信頼を「歌う」ことで表しました。7節以降では、「私は歌い、ほめ歌を歌いましょう」と告白しています。 I will sing, I will praise 神への感謝と賛美の思いは「暁を呼びさましたい」(8節後半)ほどでした。つまり、神をたたえる感謝と賛美をもって、暁を呼びさますほど、夜を徹するほど、ダビデは神との深い交わりを願ったのです。

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