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瞑想Ps60/A

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瞑想Ps60/A

  • この詩篇は12節からなっています。最後の12節がこの詩篇のキー・ワードです。「神によって、私たちは力ある働きをします。神こそ、敵を踏みつけられる方です。」
  • 1節から11節までの内容を知らなくても12節だけを味わうことができるかもしれませんが、それでは詩60篇の存在価値は薄れてしまいます。ダビデというと連戦連勝のイメージがあります。聖書の歴史書では、「主はダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた」と記しています。実に、淡々と描かれています(例えばサムエル記第二5章6,12節参照)。そこでは、ダビデの戦いにおける心の内はなにも伝わってきません。しかし詩篇ではダビデの心にあるものがありのままに伝えられています。そのことでダビデが私たちにとって、より近い存在となります。 
  • ダビデはイスラエル全体の王となる前も、また、王となってからも戦いに明け暮れた人でした。しかしいつも連戦連勝であったわけではありません。かなりの苦戦を強いられることもあったのです。詩60篇の9~10節を見るとそれがわかります。特にエドムとの戦いがそうであったようです。「だれが私を防備の町に連れて行くでしょう。だれが私をエドムまで導くでしょう。」とあります。おそらくダビデはエドムとの戦いにおいて苦戦し、ある意味で敗戦を嘆いています。それが詩60篇です。ダビデは神に訴えます。

「神よ、あなたは私たちを拒み、私たちを破り、怒って、私たちから顔をそむけられました」(1節)。
「あなたは、御民に苦難をなめされられました。」(3節)。
「神よ。あなた自身が私たちを拒まれたのではありませんか。・・もはや私たちの軍勢とともに、出陣なさらないのですか。」(10節)


  • エドムはイスラエルの南にあります。ダビデはすでに西側(海側)の勢力であるペリシテを2度の戦いで完全に封じ込めました。また北のアラム諸国も攻め取りました。北西のフェニキヤのツロの王ヒラムとは友好関係を築き、エジプトとも同盟関係を築きました。こうして、ヨルダン川の東側のアモン、モアブ、そしてエドムに勝利し配下に置きました。当時、ダビデによる王国に並ぶ国はありませんでした。
  • しかし戦いにおいて、ダビデの思うようにいかないことがあったのです。これは私たちも同じです。信仰の戦いーそれは宣教の戦いであり、教会を建て上げる戦いであったり、自分の罪との戦いであったりといろいろです。神がもはや自分を見捨て、拒まれているのではという状況に出くわしたりします。しかし、そのような信仰の揺らぎを経験しつつも、神の約束に立って、再び、神への信仰によって戦いに臨もうとするダビデの姿勢は私たちのモデルです。
  • 「まことに、人の救いはむなしいものです。神によって、私たちは力ある働きをします。神こそ、私たちの敵を踏みつけられる方です。」(11、12節)
  • 敵を踏みつけられる方こそ神です。この神に信頼して、どんな戦いもあきらめることなく、信仰に立って、心新たに戦っていきたいと思います。

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