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瞑想Ps61/A

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瞑想Ps61/A

  • この詩篇には表題がないため、その背景を確定することはできませんが、おそらくダビデがその愛する息子アブシャロムの謀反によって神の都エルサレムを後にしなければならなかった状況が考えられます。それはダビデにとって痛恨の窮みであり、「私の心が衰え果てるとき」(2節)と告白しています。他の訳では、「わが心のくずおれるとき」(口語訳)、「心が挫けるとき」(新共同訳)、「私の心がなえ果てるとき」(バルバロ訳)、「失望落胆して心がくずおれるとき」(LB訳)と訳されています。
  • ダビデはそうした心境を「地の果て」と表現しています。「地の果て」とは、単なる地理的な距離のことではなく、神を慕い求める者が神の助けを求めている姿であり、しかも、自分の力では到底回復できない状況を表わしていると言えます。そんな「地の果て」と思われるような状況の中からダビデは神に心の叫びを上げたのです。
  • ダビデは、イスラエルの歴史において音楽を伴った賛美を中心とした新しい礼拝をはじめた人です。彼は神を賛美し、礼拝する壮大な神殿の構想を持っていました。実際にその神殿を建てたのはダビデの子ソロモンですが、その詳細な神殿の設計図と賛美礼拝の詳細はすべてダビデの構想です。材料さえもダビデが準備していました。ソロモンは父ダビデの構想をそのまま実現したに過ぎません。ダビデの賛美礼拝は、彼が賛美することが好きだったからそうしたのではありません。そうではなく、ダビデが賛美することを誓ったからです。詩61篇にはそのことが記されています。
  • この詩篇には「私の誓い」ということばが5節と8節に2回出てきます。「私の誓い」とは、ダビデの心が「地の果て」にあったときのものだと考えられます。その内容は「もし、あなたがこの状況にある私の心の叫びをお聞きになり、奇蹟的な、人間的には決してあり得ない回復を与えてくださるならば、私は生涯、いや永遠にあなたを賛美しましょう」という誓いです。
     
  • 不思議にも、ダビデの叫びは神に届き、アブシャロムのクーデターは失敗に終わり、神の幕屋のあるエルサレムに復帰することができました。まさに「私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください」(2節)とのダビデの祈りが聞き届けられたからです。そのことで、ダビデは神の代理者としての王の務めをますます忠実に果たしていったのです。それだけでなく、賛美によって神を礼拝する壮大なヴィジョンを実現しようとしたのです。そうした決意の背後に、「地の果て」におけるダビデの「誓い」があったのです。
  • この詩篇において、神に対するダビデの誓いとは三つあります。しかもそれらはみな連動しており、神との親しい関係を表明するものと言えます。しかもそれらはみな強制や義務ではありません。誓いが強制されたものであるならば、それはもはや誓いとはいえません。誓いはあくまでも自発的であるということに大きな価値があるのです。
  • ①神の幕屋にいつまでも住むこと I will abide in Your tabernacle forever
  • ②御翼の陰に身を避けること I will trust in the shelter of Your wings.
  • ③主を日毎に賛美すること I will always sing praises to you;
  • 日ごとに神を賛美するという誓いとは、神はいつもすばらしいお方、Goodな方、いつくみし深い方であることを告白し、ほめたたえ、その方の御住まいに住み続けることです。「日ごとに」(Always)「いつまでも」「とこしえまでも」「とわに」「永遠に」(Forever)です。
  • 誓いは神と共に歩む者の堅い意志です。自分の神への誓いをもう一度確かめ、その誓いを果していこうと思わせられます。

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