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瞑想Ps62/B

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瞑想Ps62/B

  • 詩篇62篇のキーワードを、1節の「わたしの魂は黙って、ただ神を待ち望む」としたいと思います。特に、「黙って」という待ち望みの姿勢について瞑想します。「黙って」とは、黙して、沈黙してという姿勢で、他の詩篇では「切なる思いで」(40:1)「賛美をもって」(42:11)「一日中」(21:5)「切に」(63:1)主を待ち望む姿勢が言い表されています。「沈黙して」神を待ち望むとはどういう意味なのでしょうか。
  • それは、沈黙も祈りそのものだということです。祈りは必ずしもことばを発する必要はないということです。では、神の御前での沈黙の価値とは何なのか。魂の沈黙とは、神に向かうための、神を待つための、そして神の世界を知るための必要な姿勢だと信じます。そのためには魂の静謐(せいひつ)さ、心のゆとりが必要です。「何かをしなければ・・」と決して追い立てられることのないゆとり、理不尽なことや予期しないことが起こっても、平常心を保ち、感情的に一喜一憂することなく、即断せずに吟味するゆとりが必要です。自分の経験(出来事)の解釈を急ぐことなく、むしろ、イエスの母マリヤのように「心に納めて、思い巡らす」姿勢です。
  • それゆえ、「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む」ということは、容易なことではありません。信仰の訓練が必要です。「沈黙」こそ、神への信頼の姿勢です。そんなゆとりを、瞑想を通して与えられるなら幸いです。

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