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瞑想Ps65/A

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瞑想Ps65/A

  • この詩篇の1節はいろいろな聖書が実に様々に訳しています。新共同訳では「沈黙してあなたに向かい、賛美をささげます」と訳しています。ボンフェッファーは「神よ、人はシオンにて、沈黙してあなたをほめたたえるであろう」と訳しています。いずれにしても、沈黙の賛美があることがわかります。沈黙の中で、神に選ばれ、赦され、引き寄せられ、神の家に住むその喜びを感謝しながら神を賛美している姿が見えてきます。
  • さて、1節に「神よ。あなたの御前には静けさ(沈黙)があり、シオンには賛美があります。あなたに誓いが果たされますように」(新改訳)とありますが、この詩篇の作者であるダビデは、かつて神に「賛美の誓い」をしていたことがわかります。「賛美の誓い」には、「主が私に良くして下さった」という恵みの事実がその背景にあります。ダビデは賛美が好きだったから賛美するのではありません。いつでも神を賛美することを誓ったから賛美するのです。ダビデは自分が「肉なる者」(バーサール)に過ぎないことを自覚していました。
  • 「肉なる者」とは、弱く、もろく、貧しく、罪深く、神にそむく者でしかないという自己認識です。しかしそのような者が、神に「赦され」、「選ばれ」(指名され)、「引き寄せられ」、主と共に「住む」者とされたのです。特に、2節「「咎が私を圧倒しています」とあるように、自分の犯した罪で苦しみ、その罪責感で自分が押しつぶされるような者であったとしても、神はその者の罪を赦されるのです。罪責感から解放されるだけでも幸せ者ですが、神の恵みは無尽蔵なのです。
    そうした幸いを、ダビデは深く感じ入って、かつてなした賛美の誓いが果たされるようにと祈っているのです。
  • 「幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちはあなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。」(4節)こそこの詩篇のキー・ワードです。「良いもので満ち足りる」ことです。「良いもの」とは、神の豊かさ(the riches)です。その豊かさに満ち足りる者こそ、ほんとうに幸いな者だというのです。
  • 神の「良いもので満ち足りる」その幸いを一つの絵にしたとしたら、こんな感じになるのではというのが後半の部分(9~13節)です。そこには自然界における神の恵みの無尽蔵な豊かさが、「水(川)」によってもたらされることが描かれています。神の訪れは、いのちの水が注がれることを通して表わされます。その水は雨となり、堅くなった地を柔らかくします。また山に降った雨は地にしみ込み、川となって流れます。荒野は豊かな牧草地となり、もろもろの谷は豊かな穀物をもたらします。羊も人も共に喜び叫びます。ダビデはそれを「あなたの通られた跡には、あぶら(the riches)がしたたっています」(11節)と表現しました。「あぶら」とは「喜びの油」、つまり「満ち足りた喜び」のことでしょう。それが「したたっている」のです。なんとすばらしい表現でしょうか。このリッチ感覚。
  • 新約聖書にも、そうした満ち足りた喜びを伝えようとしたしたひとりの人がいます。それは使徒パウロです。彼は生涯の終わりにローマの獄中から教会に宛てていくつかの手紙を書きましたが、その中のピリピ人への手紙は「喜びの手紙」と言われています。彼は言っています。「・・私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています」と(ピリピ4章11~13節)。パウロはここで大切なことを言っています。それは「満ち足りることを学んだ」と。「学ぶ」とは訓練が必要だということです。秘訣を会得することの必要性を訴えています。
  • パウロがピリピの人々に伝えようとしたのは「満ち足りる喜び」でした。
  • 第一の喜びは環境に支配されない喜びです。パウロは獄中の中です。すべての活動はできません。束縛されていますが、束縛できないものがあります。それは主にある喜びです。その環境の中で、パウロは神の恵みの豊かさを心ゆくまで味わい、福音の真髄を手紙にまとめることができました。それが今、聖書の中に残されているのです。もし彼が獄中の身とならなかったとしたら、その手紙は存在しなかったかも知れません。
  • 第二の喜びは人の存在に支配されない喜びです。パウロは「私の喜びが満たされるように、あながたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせて、志を一つにしてください」と記しています。その背景には、私たちはややもすると、人の言った事、人がすることで左右され、傷を受けたりしやすい者だからです。他者に対する配慮に欠けてはなりませんが、人とのかかわりがいつも健全に保たれるわけでは決してありません。むしろ、人の存在に脅かされない秘訣を会得しなればなりません。
  • 第三の喜びは持ち物に支配されない喜びです。自分の能力や才能、地位や立場、あるいは所有物を自慢したり、あるいは、それを人と比較することで心に妬みを抱いてしまうことがあります。しかしそうしたもので支配されない秘訣があります。それを体得しなければなりません。
  • 第四の喜びは思い煩いに支配されない喜びです。この病は風邪のようにだれでも罹ります。しかしひとたびかかるとなかなか治りません。すべて悪い方向に考えてしまいます。心が休まりません。安眠できません。いつも心配でストレスを抱えている状態になります。しかしそうした心に支配されない秘訣があります。
  • その秘訣とはなんでしょう。パウロはこう言っています。「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできる(対処できる)のです。・・・また私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」(4:13, 19)
  • 私たちもひとりひとり、神の「良いもので満ち足りること」ができます。それは神の愛と恵みに基づく交わりによってもたらされる満足です。それはお金では決して得ることができません。それは人が与えることのできるものではないからです。
  • 最後に祈ります。「主なる神さま。あなたによって私の心が満たされますように。そしてあなたによって、貧しさの中にいるときも、豊かさの中にいるときも、どんな境遇にあってもそれに対処できますように。いつもあなたにあって、しあわせだなぁと感じる心を持つことができるようにしてください。」

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