****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

瞑想Ps66/B

Ⅱ/B(42~72篇) | テキストPs66 | 原典テキストPs66 | 瞑想Ps66/A | 礼拝用語Ps66 | 恩寵用語Ps66(1) | 恩寵用語Ps66(2) | Ps66の「かかわりの構造」|

瞑想Ps66/B

  • 詩篇66篇は「賛美への呼びかけ」です。しかも全地に呼びかけられています。前篇(65篇)が沈黙の賛美であるならば、詩篇66篇は、爆発的な賛美です。喜びの叫び(Shout of joy, The joyful shout)です。この詩篇はおそらく神の民がバビロンの捕囚から解放されてエ ルサレムに帰還し、神殿を建設して、かつてなされていたダビデの幕屋、およびソロモン神殿 での賛美礼拝を復活させた頃のものと思われます。「神への賛美を栄光に輝かせよ !」 これがエルサレムに帰還した民たちのなすべきことでした。そして私の生涯の課題なのです。
  • ところで、「神への賛美を栄光に輝かせる」とはいったいどういうことなのでしょうか。これがこの詩篇の瞑想のテーマではないかと思います。
  • 第一に、神が過去になされた偉大なみわざを想起することです。以下の出来事は、いずれも、神にしかできない奇蹟でした。 ①出エジプトのみわざ(6節前半) ②ヨルダン渡河のみわざ(6節後半) ③バビロンからの帰還のみわざ(9~1節)
  • 第二は、神のみわざの前に置かれていたそれぞれの苦しみの状況を想起することです。
  • 第三は、苦しみの状況の中で、涙をもって悔い改め、新しい決断(誓い)へと導かれることです。 幸いにも、バビロン捕囚の屈辱は神の民に悔い改めの実をもたらしました。18節の「もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない」とあるように、少なくとも作者は神への悔い改めへと導かれました。そして生涯、神に仕えていくことを、最高のささげものをもって神を礼拝することを約束(誓約)したのです。(13節) 15節の「全焼のいけにえ」とは、神への感謝のささげものの中で最高のものを意味します。
  • 第四は、神の恵みに感謝することです。苦しみの状況はすべて人間側の罪がもたらした 結果だったにもかかわらず、神は彼(彼ら)の祈りを退けず、御恵みを取り去ることはありませんでした。20節に「ほむべきかな。神。神は、私の祈りを退けず、御恵み(constant love)を私から取り去らなかった。」とあります。この思いこそ、神への賛美を栄光に輝かす上で大切なことです。神のすばらしさは、いつも、私たち人間の罪の現実に対して、恵みをもってかかわってくださることです。このかかわりの感動こそ神への賛美にいのちと輝きを与えるものです。
  • 「神への賛美を栄光に輝かせよ」との命令は、結局のところ、その背後に、恵みに満ちた神のご介入が必ずあるということを保証していることでもあると信じます。それゆえ、パフォーマンスとしての賛美ではなく、感謝にあふれた賛美を通して、神がどんなにすばらしいお方であるかを、あかしする人生に招かれていることを感謝したいと思います。

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional