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瞑想Ps71/B

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瞑想Ps71/B

  • この詩篇71篇には、繰り返し、作者の内に秘められた「賛美への誓い」が出てきます。その「賛美の誓い」とは、神に対する思いや行動をうながす主体的な意志と言えます。その意志は嘆きや感謝、そして、信仰告白と密接なかかわりを持っています。
  • ダビデの賛美礼拝への意気込みは、単に賛美が好きだったから賛美したのではなく、賛美の誓いをしたゆえに賛美したのです。これはとても重要なことです。
  • 詩篇における「賛美の誓い」は、「・・・します」「・・・しましょう」という表現で表されますが、英語では、単純に、I will ・・です。私はこれらの誓いの意志を「礼拝用語」と名づけています。詩71篇では、以下の礼拝用語が見られます。「待ち望みましょう」(14節)「賛美しましょう」(14節) 「語り告げましょう」(15節) 「携えて行きましょう」(16節) 「心に留めましょう」(16節) 「ほめたたえます」(22節)「ほめ歌を歌います」(22節) 「歌います」(23節)「言い表しましょう」(24節)

◆日本語訳では10回(英語訳では11回)「賛美の誓い」を表す表現がなされています。 「賛美の誓い」は、現在の意志であり、同時にそれは将来に向けられていますが、作者は、これまでも、過去における神の守りと助けに対する感謝のゆえに賛美し続けてきました。

  • 神への「賛美の誓い」がなされる場合、以下の三つの背景が考えられます。
    ①神が、~のことをしてくださったので、私はという理由が背景にある場合(15,16節)
    ②神が、~のことをしてくださるなら、私も、という条件が背景にある場合(22,23,24節)
    ③周囲の環境が、~にもかかわらず、しかし私は、という決断が背景にある場合(14節)
  • いずれもみな神に対する力強い「賛美の誓い」ですが、ただ、神を賛美していきますという 決意だけが前面に出でいるのではなく、その誓いの背後には、神が自分にとってどういうお方 であるのかという作者の神に対する「信仰告白」があります。詩71篇では、「あなたこそ、私の巌、私のとりで 」(3節) 「若い頃からの私の望み 」(5節) 「私の信頼の的 」(5節) 「私を母の胎から取り上げた方」 (6節) 「私の力強い避け所」(7節) 「あなたは私を多くの苦しみと悩みとに、会わせなさいましたが、私を再び生き返らせ、地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。」(20節)
  • こうした信仰告白、あるいは確信に基づいて、作者は人生の折々に襲ってくる嘆きの現実の中で、あるいは信仰的危機の中で、神に嘆願し、瞑想し、賛美の誓いを更新しているのです。
  • 信仰は動的です。私たちは、必ずしも、信仰を分析的に考えて整理してわけではありませんが、これまで述べた要素が密接にかかわりながら、螺旋階段のように心が上におられる方に向けさせられていくのだと思います。

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