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瞑想Ps72/B

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瞑想Ps72/B

  • この詩篇72篇は明らかに王の詩篇です。イスラエルにおいては神が王であり、地上に立てられた王はあくまでも神の代理者としての王であるということが、他国とは大きく異なるイスラエル独自の王制理念です。したがって理想的な王は、神の心を心とした王でなければならないはずです。
    1~8節にはそうした王の統治がいかなるものであるか、祈りの形で明示しています。それを要約すと、王は、
    (1) 公正と義をもって民を治め、豊かな平和をもたらすこと。
    (2) 悩む者を弁護し、貧しい者の子らを救い、しいたげる者どもを打ち砕くこと。
    (3) (それによって)民たちが、代々にわたって、王を恐れること(=信頼すること)
  • この詩篇の作者はそのような統治ができるように、王のために祈っています。そうした祈りの背景には、イスラエルの歴史において王制が導入されてからというもの、ダビデの黄金時代を別として、ソロモン以降の王は民を搾取し、公正と義は捨てられ、社会が歪んでいった現実があります。特に、預言者アモスは王が公正と義(=公義と正義)をもって民を治めるよう厳しく警告をしています。しかしその警告にもかかわらず、イスラエルは滅びました。バビロン捕囚から解放されてから、王制の回復はありませんでした。
  • しかし10節以降の王の統治は<預言的>です。なぜなら、11節で、すべての王が神によって立てられた王の前にひれ伏し、すべての国々が仕えるということが語られているからです。それはまだ実現していません。しかしやがて真の王である名がとこしえに続き、人々は彼によって祝福される時が来ようとしています。そして「すべての国々が彼をほめたたえる」のです。
  • 聖書で「天の御国」「神の国」と訳されているのは Kingdomのことです。つまり、「王国」(千年王国)の到来です。そこにはまことの王と民が存在しなければなりません。イスラエルはまことの王としてのメシア、つまり主イエス・キリストを信じ受け入れることによって、Kingdom を完成させます。私たち異邦人は彼らに接ぎ木されることでKingdomの民となることができるのです。つまり、イスラエルの民の救いがなければ、私たちの異邦人の救いも完成しないということです。現在のところメシアニック・ジューの数はわずかですが、パウロはローマ11章26 節で「イスラエルはみな救われる」と確信しています。なぜなら、イスラエルの民に対する「神の賜物と召命は変わることがない」からだとしています。
  • 御国が来ますように。みこころが天になるごとく、地にもなりますように。・・・
    国と力と栄とは、限りなく、なんじのものなればなり。アーメン。

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