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瞑想Ps77/B

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  • ここでは、瞑想用語をチェックしながら、作者のたどった「瞑想のプロセス」を見てみたいと思います。瞑想用語の訳語と特徴については こちらを参照⇒

2
苦難の日に、私は主を尋ね求め、
夜には、たゆむことなく手を差し伸ばしたが、
私のたましいは慰めを拒んだ。
3
私は神を思い起こしてザーハルזָכַר〕嘆き、
思いを潜めてシーアハשִׂיחַ〕、私の霊は衰え果てる。 セラ
4
あなたは、私のまぶたを閉じさせない。
私の心は乱れて、もの言うこともできない。
5
私は、昔の日々、遠い昔の年々を思い返したハーシャヴחָשַׁב〕。
6
夜には私の歌を思い起こしザーハルזָכַר〕自分の心と語り合いシーアハשִׂיחַ〕、
私の霊は探り求める。

自分の置かれている現実と、かつて経験した昔の日々を思い返す時、その変わり様にますます作者の霊は混乱し、眠ることができないほど弱められしまったようです。神のことを思い続けること自体が作者に呻きをもたらしました。そこには後悔の念や自責の念、将来に対する不安など複雑な思いが交錯していたのかもしれません。そうした中で、なおも作者は7節~9節で答えを探り求めながら、呻きつつも自分に問いかけます。

7
「主は、いつまでも拒まれるのだろうか。
もう決して愛してくださらないのだろうか。
8
主の恵みは、永久に絶たれたのだろうか。
約束は、代々に至るまで、果たされないのだろうか。
9
神は、いつくしみを忘れたのだろうか。
もしや、怒ってあわれみを閉じてしまわれたのだろうか。」 セラ

そして、作者は一つの結論を引き出しました。それが10節です。

10
そのとき私は言った。
「私の弱いのはいと高き方の右の手が変わったことによる。」

作者が自分に問いかけながら導き出したこの結論(10節)はなにひとつ慰めも希望ももたらしませんでした。果たして、変わったのは神なのか、それとも自分なのか。作者はさらに瞑想を深めていきます。

11
私は、主のみわざを思い起こそうザーハルזָכַר
まことに、昔からの
あなたの奇しいわざを思い起こそうザーハルזָכַר〕。
12
私は、あなたのなさったすべてのことに
思いを巡らしハーガーהָגָה
あなたのみわざを、静かに考えようシーアハשִׂיחַ〕。

  • 前の瞑想と異なる点は、視点を自分から、神のなさったみわざ、昔からの奇しいわざに思いを向けたことです。昔の良かりし日々や年々を思い返していた時とは違った視点で神を思い巡らしました。すると、変わったのは神ではなく、自分だったことに気づいたようです。事実、「私」という言葉が一掃されて、「あなた」に代わっています。瞑想の結果、作者が最終的に見出した結論が13節以降に示されています。
  • その結論とは、神の道は聖であること(つまり人の思いや考えをはるかに超えていること)。神の道は見えずとも海の中に隠されていること(人の目には見えずとも、神の導きの道は確かに存在していること)
  • 作者は瞑想を深めていく中で、これまで神が歴史的のなかでなされた「奇しいわざ」を「思い起こし」、「思い巡らし」、「静かに考える」ことによって上記の結論に導かれたようです。事実、13節~20節には神のみわざに対する「驚きの連発」が記されています。
  • この詩77篇では神は何一つ語ってはおりません。しかし作者は、1節の結論が示しているように、神は自分の叫びを黙って聞いて(傾聴して)くださっていたことに気づかされました。聖書的な瞑想の真髄はこの気づきにあります。まさに、詩篇はこうした瞑想の産物と言えます。

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