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瞑想Ps85/B

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瞑想Ps85/B

  • 「一片の鉄を打ち叩いて馬蹄を作ると1千円に。しかし、その鉄を練り直して質の良い鉄にすると、針に変身。それを全部売ると3万円に。しかし、その鉄を更に練ってカミソリにするとなんと20万円に。更に更にそれを練りに練ってゼンマイにすれば、210万円の価値が出る。人生には多くの試練や困難があります。しかし同じ一度の人生、どれほど練り鍛えられるかによって、踏みつけられる馬蹄人生もゼンマイ人生に大変身。しっかり練られたゼンマイのように、人々の心を動かす価値ある人生を歩んでください。」・・・という励ましのメールをある方が送ってくださった。
  • 人生はまさに流動的です。どんなに神の祝福を自分のものとしてしっかりと確保しようとしても、同じ状態が続くということはあり得ません。また同じく、今の不運や不幸と思えることも決して恒久的なものではあり得ません。神は私たちに新しい人生の発見のために、より深い人生の味わいのために、今の苦難を与えておられるのです。すべては神の御手の中にあります。どんな悲しみにもやがて終わりがきます。だから希望を失ってはならないのです。使徒パウロは、キリストにあって、神との平和を与えられたことを大いに喜んでいます。そしてこうも付け加えています。「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは患難は忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。」(ローマ人への手紙5章3~5節) どんな理由であれ、苦しみを経験するのは楽しいことではありません。しかしそれを通してでなければ見出せない真理があるのです。
  • 神の民イスラエルは、神に愛されながらも、「苦しみという器に盛られた希望」を糧として生きるように定められた民族です。しかしそれがいつの時代においても変わることのない大きな励ましを与えているのです。ユダヤ人の音楽のほとんどがマイナーであることは周知の事実です。イスラエルの国歌も、エルサレムを慕う歌も、踊りもマイナーです。マイナーは暗いといって嫌う人もいますが、彼らの喜び、彼らの希望はすべていつの時代でも「苦しみという器に盛られている」からなのだと思います。

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