瞑想Ps86/A
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瞑想Ps86/A
- この詩篇は、
①神への嘆願(「・・・してください」)
②自己認識(「私は・・・です。」)
③神に対する信仰告白(「あなたは・・・のような方です」)
④神への誓い(条件、理由も含めて「私は・・・・をしましょう。I will~ 」)
の要素が見事に表現されています。状況としては、悩みの中で、苦難の日にダビデは神に呼び求めています。これまでもダビデは神に呼び求めて答えられたという経験をもっていましたし、今も、そしてこれからもずっと神は答えてくださると確信して呼び求めているのです。ダビデは神の前にあってはまさに赤子のようです。しかしこれが大切なのだと思います。
- こうした経験を積み重ねる中で、神への基本的信頼が培われていきます。拒絶される経験が積み重なることで基本的不信感が培われます。基本的信頼と不信感の割合が6:4以上でないと健全な対人(神)関係を作ることができないと、ある精神科医は述べています。
- ダビデは「私は苦難の日にあなたを呼び求めます。あなたが答えてくださるからです。主よ。・・あなたに並ぶ者はなく、・・・比ぶべきものはありません」と告白しています。まさに健全な関係といえましょう。呼べば答えてくれる、そんな確信の中で生きることができることは幸いです。しかしそれはいつも流動的な状況の中で、また動的な関わりの中で試されます。しかしその試みの中でこそ、神との関わりが強められていくのです。「われ汝を呼べり、汝われに答えたまわん」この確信こそいのちです。このいのちを強め、深めていきたいと強く思わせられます。
- さらに、この詩篇でダビデが呼び求める神について、どのようなお方として受け止めているかを見ておきたいと思います。「まことにあなたは」(5節、10節、17節)のフレーズが目に留まります。
5節「主よ。まことにあなたは、いつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に恵み豊かであられます。」
10節「まことに、あなたは大いなる方、奇しいわざを行なわれる方です。あなただけが神です。」
17節後半「まことに主よ。あなたは私を助け、私を慰めてくださいます。」
- 「まことに」とは「ほんとうに」というニュアンスでしょうか。ほんとうに、ほんとうに、神は良いお方であるというと実感が伝わってきます。私もこの方に自分の重荷を降ろし、呼べば答えてくださるお方として経験していきたいと思います。