****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

瞑想Ps87/A

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瞑想Ps87/A

  • 「聖なる山」「シオンのもろもろの門」「神の都」・・これらの表現はみなエルサレムについて言われていることです。エルサレムは神の救いの歴史において、中心的な役割を果たすことは多くの預言者たちが述べているところです。神の民はすべてこの都エルサレム(シオン)に生まれた住民として登録されています。ユダヤ人だけでなく、異邦人も含めてです。その証拠に4節では「わたしはラハブとバビロンを・・。見よ。ペリシテとツロ、それにクシュもともに。これらをもここで生まれた者として」とあります。ここに出てくる国はかつてイスラエルに敵対していた国です。それらが同じ家族として数えられているのです。まさに預言的な詩篇と言えます。
  • 使徒パウロによれば、異邦人は「野生種のオリーブの木」であり、その台木となる「栽培されたオリーブの木」はユダヤ人です。私たち異邦人は、「栽培されたオリーブの木」に接ぎ木されたものです。根が枝をささえているように、私たちはユダヤ人に対して傲慢になってはいけないのです。しかし、キリスト教の歴史はクリスチャンがユダヤ人をキリストを十字架にかけた者として、呪われた者と見なして迫害を続けてきたのです。このことについては深く反省しなければなりません。
  • 神にあっては、ユダヤ人も異邦人も「ひとつのからだ」であり、「新しいひとりの人」なのです。「共同相続人」「同じ国民」「神の家族」でもあります。ユダヤ人が民族的に救われることなしに、異邦人の救いの完成はありえないのです。教会はひとつです。今日、ユダヤ人の救いのために、今や、BFPのような間接的な愛の架け橋的な働き、あるいはMAOZやメシアニック・ジューによる直接的な伝道がなされています。私たちはこうした働きを支援し、祈らなければならないと思います。そしてユダヤ人の友はなによりもクリスチャンたちでなければならないことを理解してもらい、信頼される必要があると信じます。ユダヤ人の心の傷がいやされますように。

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