****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

瞑想Ps88/A

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瞑想Ps88/A

  • この詩篇は最後まで、どこにも出口がないような暗黒の詩篇です。「あなたは私を最も深い淵に置いておられます。そこは暗い所、深い淵です。」(6節) 朝が見えません。始めから終わりまで、全く憔悴しきっています。打ちのめされ、打ちひしがれ、疲れ果て、虚脱感と精神的心労によって、神経がすり減っています。孤独感と閉塞感の中に漂っています。唯一、開いている窓は上だけです。
  • ある問題をかかえると、すべて悪い方に悪い方に考えてしまう人がいます。「信仰がないのはどうしたことです」とイエスが弟子たちに言われましたが、口から同じようにそう言ってしまいたくなくような人がいます。まさに、「朝から夕へ」のリズムです。ますます混乱と苦しみがその人を取り囲んでいきます。少しでも、希望の光を見出して、思いを変えられるなら、悩みを聞いている人にも関わった慰めがあります。しかし希望の告白がないまま、悩みで始まり、嘆きで閉じられていくとするなら、なんとも言いようがありません。
  • 私の住んでいた町はかつて炭鉱でした。人情味のある町でしたが、落盤事故で犠牲となった方も多くおられます。落盤事故が起こると、救援隊が事故現場に向かうのですが、救助が困難をきわめ、救出が送れて息絶える方が多い中、助かる人もいるのです。そうした助かった人たちが決まっていうことは、「必ず救援が来る」と堅く信じていたことでした。生死を分けるのは希望です。「夕があり、朝があった」・・どんな状況の中に置かれても、逃れ場のない苦難の中でも、この恵みに立ち続けるようにと私たちを励ましているように思われます。
  • 詩篇のテーマは、「嘆きから賛美へ」です。この信仰を神が与えてくださいますように。おしにつかれた息子の父が祈ったように私も祈りたい。「信じます。不信仰な私をお助けください。」(マルコ9章24節)と。

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