瞑想Ps92/A
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瞑想Ps92/A
- この詩篇は、91篇で主を自分の住いとした者の日々の具体的な生活がいかなるものであるか、そしてその祝福を歌っています。その中から特に12節~14節を瞑想したいと思います。
「正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの木のように育ちます。彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。」
- 「正しい者」とは、神の大庭に植えられた者のことです。「植えられた」とは自然にそこに芽を出して育ったということではなく、神によってどこからか移植されて、神の庭で神によって育てられたことを意味します。「年老いてもなお」とありますから、年老いてからではなく、そこに至るまでの過程においても、多くの「実を実らせ、みずみずしく、生い茂っている」ことが可能ということです。それにしても、「みずみずしく」とはなんという祝福でしょう。
- ここでいう実とは、何かに成功して儲けたとか、実績をあげて有名になったとかいう意味ではありません。いのちー神のいのちは常に関係性において表われますーの豊かさは、愛であり、感謝であり、思いやりということができます。そうした実は一朝一夕では結ぶことはできません。イエス・キリストが弟子たちに「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができません。・・・わたしにとどまりなさい」と言われたことを思い起こさせます。
- 「なつめやしプランニング」の心得について考えてみたいと思います。その実際的なプランは1、2節にあります。
<心得①>「感謝すること」です。
- 私たちは移植されたという自覚のもとに、すべては神の御手の中にあることのゆえに感謝することです。すべてのことー人の目から見て、良いことも悪いことも、幸も不幸もすべて相働きて益としてくださるからです。それゆえに信仰をもって「感謝」するのです。そうすることで、どんな状況の中でも見方が変わってきます。
<心得②>「賛美すること」です。
- 感謝だけでなく、神はいつも良い方であり、いつもすばらしいことをしてくださる方であると賛美することです。賛美することを通して、私たちの内に働こうとする悪い思いを締め出すことができます。私は主にある兄弟姉妹とともに、毎朝、教会で主を賛美しています。ピアノとドラムを伴奏に主を心から賛美することで、心は健やかにされるのです。また賛美を通して、神に心を開く備えが出来上がります。
<心得③>「主の恵みと真実を言い表すこと」です。
- これは祈りの中で、主の恵みと真実を実際に言い表すことです。感謝も賛美も実は主に対する告白です。その告白の内容が主の恵みであり、主の真実です。私はそれを土台としてはじめて神との関係を深めることができるからです。
<心得④>「日ごとにすり込むこと」です。
- 心得①②③のすべてが「日ごとに」ですが、このことは単に機械的な意味での毎日ということではありません。「朝に、夜ごとに」です。つまり、良いときも、そうでないときにも、うまくことが運んでいるときも、うまく運ばないときにも、失敗や失意のときにも、自覚的に体と心にすり込む・・・これが「日ごとにすり込む」という意味です。気が向いたら・・という構え方ではありません。気分や感情に支配されなければ、やがて「なつめやし」のように「多くの実を結ぶようになる」と信じます。