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瞑想Ps92/C

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Ps92/C

  • ここでは、詩篇92篇にある重要な三つの形容詞に注目します。

    (1) 「トーヴ」  טוֹב

    • 1節の「・・・するのは、良いことです」という「良い」は、ヘブル語で「トーヴ」טוֹב(tov)です。主の大庭に植えられ、主の家に住む者とされた者たちにとっての「良い」こととは、主に感謝することであり、賛美することであり、恵みと真実を告白することです。しかも、朝ごとに、夜ごとに、楽器の響き(ヒガヨン)に合わせてそうすることはなお「良い」ことなのです。
    • 新改訳では「良い」と訳されていますが、新共同訳では「楽しい」と訳され、フランシスコ会や典礼訳では「すばらしい」と訳されています。英語ではgoodです。自分にとって、「良いこと」、「楽しいこと」、「すばらしいこと」を日ごとにすることは、私たちのたましいを元気づけます。義務感からすることはそうした力を得ることはできません。この力の源泉はどこから来るのでしょうか。10節をみると「しかし、あなたは、・・・私に新しい油をそそがれました」とあるように、神の愛の歓迎としての聖霊の香油を、日々、新鮮に注がれることによるのです。

    (2) 「ダーシェーン」 דָּשֵׁן

    • 新改訳で「おい茂る」と訳された「ダーシェーン」דָּשֵׁן(dashen)の元になっている動詞は、同じくדָּשֵׁןと表記されますが、その意味は、(脂肪が多くて)「肥える、太る」という意味と(香油を)「注ぐ」という意味があります。後者の香油を注ぐというのは、先にも述べたように、神の歓迎を表わす香油です。そこから「生き生きとした、みずみずしい、健康な、いつも生気に満ち溢れている、つややかな」というイメージが与えられる形容詞の「ダーシェーン」דָּשֵׁןです。この形容詞「ダーシェーン」דָּשֵׁןは旧約聖書では3回のみで、詩篇はそのうちの2回(22:29, 92:14)使われています。新共同訳では「命に溢れ」と訳し、フランシスコ会訳では「みずみずしく」と訳しています。

    (3) 「ラアナーン」 רָעֲנָן

    • 「青々と茂る」という動詞「ラーアン」רָעַןの形容詞「ラアナーン」רָעֲנָן(ra`anan)は詩篇92篇では2回使われています。10節の「新しい」(油)と14節の「みずみずしい」と訳されています。「新鮮で、いきいきとした」イメージです。「ラアナーン」רָעֲנָןは旧約で19回、そのうち詩篇では4回使われています。

  • (2)と(3)の二つの形容詞を重ね合わせることで、よりイメージが強調されているように思います。今や、世界の中でも未曽有と言われる超高齢化社会に日本は向かっています。そうした社会の中で、「年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。」と言える神の祝福を得、あかしするために、「年老いてから」ではなく、「年老いてもなお」とあるように、それ以前からの準備が必要であることを思わせられます。クリスチャン精神科医の柏木哲夫氏は「人は生きてきたように、死んでいく」と述べていますが、多くの方々の死を看取ってきた柏木氏だけに、そのことばには重みがあります。

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