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瞑想Ps94/A

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瞑想Ps94/A

  • いつの時代でも、どんな国でも、その国の王によって民は大きな影響を受けることになります。良い王であるならば民は祝福を受けますが、悪い王であるならば民は苦しみ虐待を受けます。イスラエルの王制の歴史の中で、神の代理者として合格できた王はごくわずかでした。イスラエルの王が神のみこころから離れ、他の国と同じように国を私物化し、専制君主のような存在になるならば、多くの民が苦しむことは避けられません。詩94篇には、そうした民の苦しみが神に訴えられています。「復讐の神」ということばは聖書の中で決して多くはありませんが、別なことばで表現するなら、「正義をもって王をさばかれる神」と言えると思います。苦しむ民は「地をさばく方よ。立ち上がってください。高ぶる者に報復してください。」と訴えています。
  • 2節の「高ぶる者」、3節の「悪者ども」、4節の「不法を行なう者」とはだれのことを指しているのでしょうか。彼らは「勝ち誇り」「放言し」「横柄に語り」「みな自慢し」ています。また彼らは神の民を「打ち砕き」「悩まし」「やもめや在留異国人、みなしごたちを殺し」ています。しかも、彼らは愚かにも「主は見ることはない。気づかない」と言っています。
  • この詩篇の「彼ら」とは異国の王を指すと考えられますが、私はイスラエルの王をも含めて考えてもよいのではないかと思います。なぜなら、8節に「気づけ。民のうちのまぬけ者ども。」とあるからです。神の代理者としてあるべき王が神を恐れることがない場合、国がどんなに繁栄を誇っていたとしても、貧富の差は拡大し、その隔ての壁はますます強固なものとなります。
  • キリスト教会においても、ひとりの指導者が教会を私物化し、教会員をあたかも伝道の武器のように、なにかモノのように扱い始めるとき、教会には重苦しい痛みがはじまります。その問題に真っ向からぶつかるとき、教会内はさらに多くの傷を受けることになります。この詩篇の作者はこうした苦しみを体験した人です。ですから「だれが、私のために、悪を行なう者に向かって立ち上がるのでしょうか。だれが、私のために、不法を行なう者に向かって堅く立つのでしょうか。」と訴えているのです。そして、この詩篇のすばらしさは、たとえ「私の足はよろけ」るようなことがあっても、「主は彼らの不義をその身に返し、彼らの悪のゆえに、彼らを滅ぼされます。われらの神、主が、彼らを滅ぼされます。」と確信し、問題を神にゆだねることができたことです。
  • 指導者によって与えられる苦しみや痛みを自分で復讐することなく、神にゆだねることができたその背景には、「神こそ王である」という理念が生きていたからだと信じます。
  • 詩94篇は、普通、「神を王として賛美する詩篇」には入れない注解者が多いようです。しかし、「地をさばき」「高ぶる者に報復できる方」、正義をもって王をさばかれる方こそ、まことの支配者であるという考え方をもっているように思います。その意味で、私はこの詩94篇を「神を王として賛美する詩篇」の中に入れるのがふさわしいと考えます。
  • いずれにしても、主が王として統べ治められることは、私たちに大いなる希望を与えます。それゆえに、この詩篇の作者と同じように、もし「私のうちに、(自分の覆いとなっている指導者のことで)思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。」と祈る者になりたいのです。

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