瞑想Ps96/B
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瞑想Ps96/B
- 詩篇96篇の初めと終わりは、詩篇98篇と全く同じです。しかしそれぞれの詩篇の個性と独自性を持っています。特に、詩96篇では、讃美への招き、宣教への招き、そして礼拝への招きのことばがあります。
A. 賛美への招きのことばは、「新しい歌を主に歌え」(1節)、「御名をほめたたえよ」(2節)
B. 宣教への招きのことばは、「良い知らせを告げよ」(2節)、「主の栄光、奇しいわざを語り告げよ」(3節)
C. 礼拝への招きのことばは、「ささげよ」(7節)、「携えて、・・大庭に入れ」(8節)、「主にひれ伏せ」(9節)、「おののけ」(9節)、「言え」(10節)
- ここでは、Bの「宣教への招きのことば」を取り上げて瞑想してみたいと思います。最初に取り上げるのは、2節の「良い知らせを告げる」と訳されたヘブル語はバーサル(בָּשׂר)です。旧約では24回、詩篇では3回のみです。96:2の他に、40:9、68:11に使われています。
- 良い知らせ、グッド・ニュースを伝えることです。
- イザヤ書40:9では「シオンに良い知らせを伝える者よ。高い山に登れ。エルサレムに良い知らせを伝える者よ。力の限り声を上げよ。恐れるな。」と語られています。
- 同、52:7では「良い知らせを伝える者の足は、山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたがたの神が王となる」とシオンに言う者の足は。」と良い知らせを告げる者を称賛しています。
- 同、61:1では「神である主の霊がわたしの上にある。主はわたしに油を注ぎ、貧しい物に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。」と。この預言は、イエス・キリストにおいて実現します。「良い知らせ」は、「福音」(ルカ4:18)と言い変えられています。
- 使徒パウロはローマ人への手紙10章13~15節で次のように記しています。
- 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」
- 救われるためには、主を信じることが必須です。そのために主から遣われて゜良い知らせを伝える者の存在が必要です。キリストにあって救われた者たちは、この責任を神から与えられていることを一時も忘れてはなりません。
- 「宣教の招きのことば」と取り上げるもう一つのことばは、「語り告げる」と訳されたサーファル(סָפַר)です。英語ではproclaim, declare, tell, speak, と訳されています。旧約では105回、詩篇゛は36回使われており、いわば詩篇の特愛用語と言えます。何を語り告げるのかと言えば、それは「主の栄光」と「主の奇しいわざ」です。特に、前者の「栄光」とはカーボードで、「重い事柄」を意味します。この宇宙で最も重い事柄、重要な事柄のことです。これを語り告げよと言っているのです。
- いろいろなことを話すことができても、「主の栄光」、すなわち、最も重い事柄、重要な事柄について語ることができなければ、実に虚しいことです。救われた者にしか歌うことのできない「新しい歌」-これは神が贖われた者たちの口に授けられる歌です―があるのです。また救われた者にしか語れない事柄があるのです。そのことが何であるかをしっかりと知り、受け止めつつ、生きることが求められています。
- (祈り)
主よ。詩96篇で呼びかけられている「宣教への招きのことば」にはっきりと応える者とさせてください。