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瞑想Ps97/A

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瞑想Ps97/A

  • 詩97篇を瞑想するにあたり、この詩篇の特徴は何かを考えてみると、「主にあって喜ぶ」ということが見えてきます。このことはすでに詩96篇にもある(11~12節)のですが、そこでは自然界における喜びが描かれていました。

「天は喜び、地はこおどりし、海とそれに満ちているものは鳴りとどろけ。野とその中にあるものはみな喜び勇め。そのとき、森の木々もみな、主の御前で喜び歌え」(96:11~12)

  • ところが、詩97篇ではむしろ「シオン」、「ユダの娘たち」、「主を愛する者たち」、「聖徒たち」、「正しい者たち」、「心の直ぐな人」、いわば神によって贖われた者たちに対して、主にあって喜べ、こおどりせよと呼びかけられています。
  • 神に贖われた者たちが完全な姿を現わすのは、完全な神の支配、神の統治、御国の完成がなされるときです。それまでは、全被造物は虚無に服していると使徒パウロはローマ8章で述べています。

「 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。20 それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。22 私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。」(8:19~23)

  • 啓示の光を受けた使徒パウロが「被造物全体が神の子どもたちが完全に贖われることを、切に、うめきをもって待ち望んでいる」と語っています。これは、まことの王である主が来られて全地を支配されるまでです。しかしひとたびその時が訪れたならば、神の民も全被造物も歓喜に満たされます。まさに、「産みの苦しみの後の喜び」です。それまでは、ある意味で種の中に「隠されている」のです。
  • 使徒パウロの次のことばも味わい深いものです。

「あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。・・あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。私たちのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現われます。」(コロサイ3:2~3)

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