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瞑想Ps98/A

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瞑想Ps98/A

  • ここでは、96篇の初節にもあった「新しい歌」について注目してみたいと思います。詩篇ではこのことばは6回しか使われていませんが、主を礼拝する上で大切なキー・ワードだと信じます。「新しい歌を主に歌え」との呼びかけ(あるいは命令)は、私たちが日ごとに主の奇しいわざについての新しい発見、新しい驚き、新しい気づき、新たな喜びがわきあふれることが可能な世界へ私たちを招こうとしているからです。
  • 使徒パウロは「だれでも、キリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ。すべてが新しくなりました。」(コリント第二、5章17節)と述べています。キリストにあるなら、全く新しい神とのかかわりの中に生かされる者となったという宣言です。その「新しさ」を、聖霊様の助けによって、日ごとに感じ取っていく楽しさがクリスチャンライフと言えます。そしてパウロは「たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」(コリント第二、4章16節)とも言っています。「日々新たにされていく」・・そんな世界があるということはなんとすばらしいことでしょう。この「新しさ」は、まさに、かかわりの新しさであり、「永遠のいのち」そのものなのだと信じます。
  • 私は、50代になってから、若い頃の趣味であった山登りを再びはじめました。当初は、北海道にあるメジャーな山に登りたいと思い、そのいくつかに挑戦しましたが、次第に自然におけるかかわりの世界―森林の生態系―に深い関心を抱くようになりました。スノーシュー(新しい形のかんじき)のおかげで、夏であれば笹やぶのために歩くことができないところにも、自由に歩いていくことができ、冬芽を観察して、何の樹木かを調べたりしているうちに、興味は樹木だけでなく、それを生かし支えているのが、目に見えない微生物や菌糸(キノコたち)、小さなコケたちの存在であることを知るようになりました。そのことに気づいてから、ただやみくもに山の頂上を目指して登る意欲は薄れてきました。山は、まさに自然界のさまざまなかかわりの世界を「日々新たに」発見するところだと気づいたからです。高い山ではなく、低い雑木林の中にも、いのちを日々新たに発見することが私の楽しみとなりつつあります。そして許されるなら、やがてフォレスト・ガイドができるほどにまでになりたいと願っています。
  • この自然界における生態系―かかわりの世界―は、何十億年という気の遠くなるような時間をかけて造られたものです。そこにも神の「奇しいわざ」が啓示されています。自然のみならず、神と人、人と人、人と自然とのかかわりにおいても、また、神の救いの歴史においても、そこには「日々新たにされる」ようないのちの感動が多くあることを信じます。
  • 「新しい歌を【主】に歌え。主は、奇しいわざをなさった。」
    イエスはヨハネの福音書6章でこう述べています。
    「あなたがたが、神が遣わされた者を信じること、それが神のわざです。」(29節)
    ここでの「神のわざ」とは、神の喜ばれること、神の御心にかなったこと、という意味です。しかもこの「神のわざ」は単数形であり、唯一の事柄として語られています。御父から使わされた御子イエスを信じることこそ、最も神が喜ばれることであり、すべてのかかわりの出発点であり、「日々、新しくされていく」世界の土台のだということです。御子を信じることは御子と御父の永遠のゆるぎない愛のかかわりの神秘を知ることであり、その愛のかかわりを知ることは、宇宙の永遠のいのちの神秘にあずかる壮大な神の「奇しいわざ」なのです。

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