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瞑想Ps98/B

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瞑想Ps98/B

  • 詩98篇は出だしの「新しい歌を主に歌え」や最後の節の「確かに、主は地をさばくために来られる。・・国々の民をさばかれる。」だけでなく、内容的に詩96篇と類似しています。
  • しかし、詩96篇では「救いの良い知らせを」「主の栄光を」「その奇しいわざを」を「語り告げる」ことを並列して記しているのに対して、詩98篇では「主が奇しいわざをなさった」という一点が強調されているのように思います。つまり、神の民が新しい歌を歌うことも、主に喜び叫ぶことも、喜び歌うことも、それはひとえに、主が「奇しいわざ」をこれまでなされたからであり、これからもそれをなされるゆえです。
  • 「奇しいわざ」(the wonders, marvelous things. wonderful works)とは、私たちの目には不思議な驚くべきことであり、神にしかできない奇蹟です。神の民であるイスラエルは、その歴史において主の奇しいみわざを何度も経験してきました。出エジプトの出来事、40年間の荒野の生活、約束の地への侵入、バピロン捕囚からの解放など、まさに主の「奇しいわざ」そのものでした。それゆえ、イスラエルという存在そのものが、この神の「奇しいわざ」の証(記念)なのです。
  • すべての「奇しいみわざ」を「思い起こす」「思いを潜める」「「思い巡らす」「静かに考える」、そして「感謝する」「ほめたたえる」「告げ知らせる」「語る」ことは、神の民のとしての務めであり、また、瞑想の重要なテーマでもあります(詩77篇11節以降参照)。ちなみに、この「奇しいわざ」のヘブル語の動詞はパーラーפָּלָא(pala')で、詩篇特愛用語です。
  • 主の「奇しいわざ」は、全歴史、全地の次元においてなされる場合もあれば、主にあるひとり一人の人生においても現わされます。全歴史、全地の次元においてなされる主の「奇しいわざ」は、しばしば自然界の現象において現わされました。
  • クリスチャンにとっての神の「奇しいわざ」の頂点は、イエス・キリストの十字架の死と復活の出来事です。キリストの復活は詩118篇に預言されていました。「家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。これは主がなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。」(22~24節) これはユダヤ人が捨てた石(イエス・キリスト)が、私たちになくなてならない礎の石となったのは復活の出来事によってです。まさに復活の出来事は神の「奇しいわざ」のなかでも私たちにとって最高のものと言わなければなりません。すべての神の民は、今やこの復活という神の「奇しいわざ」なしには存在し得ないのです。
  • やが確実に来る救いの完成においても「奇しいわざ」がなされて、新しい天と新しい地が再創造されるのです。

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