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知恵ある者の心は時とさばきを知っている

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伝道者の書は「光なき人生の虚無から、まことの光に生きることを指し示す」最高のテキストです。

8. 知恵ある者の心は時とさばきを知っている

【聖書箇所】8章1~17節

ベレーシート

  • イェシュアは当時の人々(ユダヤ人)に「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。」(ヨハネ5:39)と語っています。ここでの「聖書」とは旧約の聖文書(諸書)といわれる「ケトゥーヴィーム」(כְּתוּבִים)のこと(「ケスビーム」と表記される事があります)であり、ヨブ記や詩篇、箴言、伝道者の書、雅歌などを含んでいます。ですから、私たちがそれらを読むときには、それらがどのようにイェシュアについて証言しているのかを、よくよく注意して読む必要があります。

1. 「知恵ある者の心は時とさばきを知っている」とは

  • 「伝道者の書」8章1~4節は、王の前に立つ「知恵ある者」について記されており、5節の前半にある「命令を守る者」とは、王の命令に対して従順である者のことを意味しています。その者は「わざわいを知らない」とあります。つまり、「不快な目に遭うことはない」(新共同訳)のです。5節後半には「知恵ある者の心は時とさばきを知っている」とあります。この二つの事柄がどのようにつながるのでしょうか。理解の鍵は、この二つの事柄をつないでいる接続詞をどのように理解するかにかかっています。ちなみに、ここでの接続詞は「ヴェ」(וְ)です。「命令を守る者」と「知恵ある者」は同義と理解し、「むしろ」という接続詞がふさわしいと思います。「むしろ、知恵ある者の心は時とさばきを知っている」と解釈できます。「心」と訳された「レーヴ」(לֵב)は理性的な意味での考えや意図、計らいや計画を表わす語彙です。
  • 伝道者の書8章で、「時とさばき」というフレーズは5節のみならず、6節にも「すべての営みには時とさばきがある」とあります。原文では「エート・ヴー・ミシュパート」(עֵת וּמִשְׁפָּט)となっており、新改訳は「時とさばき」、フランシスコ会訳も「時と裁き」と訳しています。しかし口語訳は「時と方法」と訳し、新共同訳では「ふさわしい時」とそれぞれ訳しています。「ミシュパート」は本来、神の統治概念を表わす語彙ですが、その統治の方法も含まれています。とすれば、「時と裁き」は「時と方法」とも訳すことができます。つまり、「知恵ある者の心は時とさばきを知っている」とは、「知恵ある者」がその心にある事柄を実現させる「時と方法」を「知っている」(わきまえている、心得ている)ことを意味しています。
  • そもそも、8章は「だれが知恵ある者にふさわしいだろう」という問いかけから始まっているのです。その答えは、神の知恵である「イェシュア」以外にはいないことを証言しているのです。
  • 8章6節の「すべての営みには時とさばきがある」とあります。そこでも、「すべての営みには時と方法がある」と理解できます。「営み」と訳されたヘブル語は「ヘーフェツ」(חֵפֶץ)です。「ヘーフェツ」の主体が神である場合、神のみこころを表わす語彙で、そのみこころには惜しみなく与えることの「喜び」「楽しみ」「願い」といった意味が込められています(牧師の書斎にある「ヘブル語のキーワード」を参照のこと)。

2.




2016.3.11


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