****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

知恵の源泉に注視すること

28. 知恵の源泉に注視する

(1)

  • 詩篇の中には、一人の人の神体験が他の人々への教訓を提供し、神の民の足取りを明らかにして、慰めと導きを与えるものがあります。そうした詩篇を<知恵の詩篇>、あるいは<教訓的詩篇>と言えます。つまり、個人的な体験が普遍的な真理として認識され、それが格言となって多くの人たちに教訓を与えるのです。普遍的な真理となることで、客観性を持ち、より多くの人々に伝承され、共有財産となります。それが教義となり神学となります。詩篇の中にはこうした知恵の格言はかなりの数にのぼります。1篇のように、詩篇全体がそうである場合もあれば、32篇、34篇のように、ある部分がそうである場合もあります。
  • 静まった池の水面に一石が投じられると波紋が生じます。その波紋は普遍的な真理を表わします。しかし、波紋についてどんな論じてみても、また関わってみても、新しい波紋をもたらすことはありません。波紋を起した一石に注目しなければなりません。大切なことは、普遍的な真理を知ることによっては、真の神体験をすることができないということです。普遍的な真理を通して、その真理を呼び起こした源泉に、私たちが直接関わることによって、はじめて個人的な神体験をすることができるのです。そこには常に神のいのちがあります。それゆえ、私たちはそこにいつも注視する必要があると信じます。

(2)

  • 人間の知恵が、凝縮されたことばの形で表現されたものに、「故事・ことわざ・格言」といったものがあります。「故事」は昔から伝えられていることがらで、最も印象的な普遍性のある知恵を短く言い表しており、古代中国の著名な文書からとられたものが多いようです。「ことわざ」はだれからともなく、いつの間にか民衆の生活の知恵として、口から口へ伝承されたことばです。「格言」は哲学・宗教・政治・文学といった各界の有名な個人の世界観が、短い言葉に集約された、すぐれた語句で金言とも言われます。
  • 聖書の中にも長い歴史を生き抜いたことば、数々の苦闘や経験を通して試された信仰から産み出された簡潔で明晰なことばがあります。それは「知恵のことば」とも呼ばれ、聖書の中では「箴言」としてまとめられています。詩篇の中にも、そうした知恵が記された「知恵の詩篇」「教訓的詩篇」と呼ばれるものが数多くあります。1篇、37篇、49篇、73篇のように、詩篇全体が知恵のことばで占められているものがあれば、14篇、15篇、24篇のように、ある部分だけが知恵のことばであるものもあります。
  • 知恵の詩篇」「教訓的詩篇」は、現代に生きる私たちへの生きた戒めです。また、信仰の先輩たちの思いやりに満ちた愛と希望のメッセージです。そのことを信じて大切に受けとめましょう。

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional