****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

礼拝用語Ps105

詩105篇 「守る」נָצַר ナーツァル שָׁמַר シャーマル

(カテゴリー:従順)

45節「これは、彼らが主のおきてを守り、そのみおしえを守るためである。ハレルヤ。」

Keyword;「守る」  keep, obey, observe

שָׁמַר
18:21, 23/19:11/37:34/99:7/103:18/105:45/106:3/119:4, 5, 8, 9, 17, 34, 44, 55, 57, 60, 63, 67, 88, 101, 106, 134, 136,
146, 158.167, 168/
נָצַר
25:10/34:13/78:7/105/45/119:2, 22, 33, 34, 56, 69, 100, 115, 129,145/
(※いずれも人が神の教えを守るという箇所のみ。神が人を守るという箇所は揚げていません。)

  • 詩105篇の書かれた結論が最後の節である45節に記されています。「これは、彼らが主のおきてを守り(שָׁמַר)、そのみおしえを守る(נָצַר)ためである。」
  • すでに78篇でも瞑想したようにナーツァル(נָצַר)は神と人との親しいかかわりを「保つ」(keep)という意味合いですが、今回のシャーマル(שָׁמַר)は、喜んで「従う」(obey, observe)という意味合いのことばです。いずれも、主体的に「愛する」というニュアンスとして受け取って良いと思います。
  • この詩105篇では<歴史化の営み>がなされています。歴史化の営みがなされるときには、その背景にアイデンティティーの危機が存在します。おそらくこの詩篇は捕囚から解放されて、今や再びイスラエルに帰還した後に書かれたとものと思います。神の民はそこで何を拠り所にして立つべきか確認する必要に迫られました。そこで、彼らが思い起こしたのは、「主は、ご自分の契約をとこしえに覚えておられる」(8節)ということでした。ここでの契約とは、神がモーセと結んだシナイ契約ではなく、主がアブラハムがと結んだ契約のことです。彼らはそこに再び帰り、そこから歴史を再び見直し、自分たちの神の民としてのアイデンディティを建て直そうとしているのです。これが<歴史化の営み>です。
  • ちなみに、この詩105篇では、神がモーセと結んだシナイ契約については一言も触れておりません。なぜなら、そのシナイ契約によれば、神への不従順のゆえに、神とのかかわりはすべて終結してしまうからです。詩105篇の作者は、むしろ、神の「奇しいみわざ」に「思いを潜め」、「思い起こす」よう神の民に訴えています。神がしてくださった多くの恵みにもかかわらず、何度も神に背き、幾度も神の警告を無視してきたにもかかわらず、神は民に見切りをつけることなく、忍耐とあわれみをもって再び回復してくださった「昔からのなぞ」(詩篇78:2)に目を向けせようとしています。それは具体的には神がアブラハムと結んだ永遠の契約です。その契約は恵みの契約であり、神の一方的な好意に基づく契約です。
  • 預言者エレミヤは、捕囚前後にアブラハム契約に立って、シナイ契約では滅ぼされても文句の言えない神の民に、希望のメッセージを語りました。そのメッセージとは「新しい契約」についてです。31章はエレミヤ記の心臓部です。そこには神の最も深いみこころが語られています。

    31:3 主は遠くから、私に現われた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。31:4 おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。31:31 見よ。その日が来る。――主の御告げ。――その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。32 その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。――主の御告げ。――33 彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。――主の御告げ。――わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

  • エレミヤが預言した「新しい契約」は、幾分かは捕囚から解放された民たちの中に実現しました。その良い例が詩119篇と言えます。しかしながら、神の計画の中においてはまだ不十分でした。真の実現は、イエス・キリストが父から遣わされ、十字架と復活と昇天、そして聖霊の降臨によって実現しました。このときから、神の民は神の愛を深く知り、親しいかかわりを築くことができるようになったのです。聖霊のみわざによって「律法が心に書き記され」、自発的・主体的なかかわりと保持が培われるのです。このことをしてくださったのも、すべて神の恵みであることを覚えたいと思います。
  • 今日、私たちもある意味でクリスチャンとしてのアイデンティティの危機が存在します。疲弊した自分たちの教派や教団に自らを見出すのではなく、信仰のルーツであるアブラハムの契約を思い起こし、そこに接木された存在としてその中に生きること、そして神の民が一致していく道を探り出す今日的課題があるように思います。そこで主がアブラハムに言われたことばを思い起こします。
    「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者を私はのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」(創世記12章3節)と。このことが何を意味するのかをもっと深く理解しながら、その契約の中に生かされる者でありたいと願います。

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