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礼拝用語Ps108

詩108篇「(暁を)呼び覚ます」 עוּר ウール

(カテゴリー:待望)

2節「十弦の琴よ、立琴よ。目を覚ませ。私は暁を呼びさましたい。」(新改訳)
2節「・・・私は目覚めさせよう。曙光(あけぼの)を」(岩波訳)
2節 I will awake the dawn. (NIV)

Keyword;「呼び覚ます、目覚めさせる。奮い立たせる」awake, wake up,
7:6/35:23/44:23/57:8/59:4/72:16/73:20/78:38/80:2/108:2

  • 「呼び覚ます」と訳されたウール(עוּר)は、旧約で81回、詩篇では11回、イザヤ書では18回と、詩篇とイザヤ書の特愛用語です。「主よ、私のために目を覚ましてください。」(詩篇7:6)、「奮い立ってください」(同35:23)、「起きてください。」(同44:23)・・で、この動詞の主体は神がほとんどです。したがって詩篇108:2(52:8も同様)のように、主語が人であることはきわめて珍しいのです。
  • 神が「目を覚ます」ときは、敵が追いやられることを意味しますが、詩108篇の作者の言う「私は暁を呼びさましたい」とはどのような意味なのでしょうか。『詩編を味わう』の執筆者である鍋谷氏は「喜びのあまり夜半に起きて夜明けを待つ姿」としていますが、私はもっとより深い意味を有しているように思います。なぜなら作者が「神よ。私の心はゆるぎません」との強い決意を現わしているからです。これは作者の心に堅く定めたひとつのライフスタイルと見ることができます。
  • 「暁を呼びさます」とは、その背景に「夜」があります。霊的な意味での「夜」でもあります。しかし神の視点からするならば「夜」は新しいはじまりです。それゆえ私たちは神への感謝と賛美をもって主を待ち望まなければなりません。気落ちする自分のたましいに向かって、自ら、信仰をもって奮い立たせること、そうした生き方―これが「暁を呼びさます」という意味であると考えます。
  • 使徒の働き16章25~26節に「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ、賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。ところが突然、大地震が起こって、・・とびらが全部あいて、みな鎖が解けてしまった。」とあります。理不尽にも彼らは捕えられてしまいましたが、それは神の新たな計画の黎明をもたらしました。看守とその家族が救われ、すでに心が開かれていたルデヤとともに、パウロの働きを経済的にサポートするピリピ教会が誕生したのす。パウロやシラスの真夜中の賛美―これこそ「暁を呼びさます」行為ではないかと思います。
  • 私たちは様々な状況に支配されやすい者です。しかし周囲の状況にかかわりなく、神は良い方であることには変わりません。その信仰をもって、たとえ「夜」と思えるような時であっても、「私は歌い、わたしのたましいもまた、ほめ歌を歌いましょう。・私は暁をよびさましたい。」という心が堅く定まっているかどうか、問われているように思います。

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