礼拝用語Ps112
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詩112篇「(主を)恐れる」 יָרֵא ヤーレー
(カテゴリー:信頼)
1節「ハレルヤ。幸いな人よ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。」
Keyword;「(主を)恐れる、畏れる」(動詞も形容詞も同様に「ヤーレー」יָרֵא) fear, 33:8/34:9/40:3/64:9/67:7/68:35/72:5/86:11/89:7/96:4/99:3/102:15/111:9/112:1/115:11/130:4/145:6
- 詩112篇には「主を恐れる」者の幸いと祝福が述べられています。「主を恐れることは、知恵のはじめ」ということが前篇(111篇)にあり、その展開が本篇と言えます。本当の幸いは「主を恐れる(畏れる)」ことにあるというのが、旧約全体の幸福観です。
- 旧約において、「主を恐れる」ということは「主を信じる」「主を愛する」と同義です。「主を恐れる」とは、神と人と自分との、本来、あるべきかかわりの在り様を、一語で言い表したものと考えます。なぜなら、詩112篇には「主を恐れる者」を、①「主の仰せを大いに喜ぶ人」②「直ぐな人」③「情け深く、人には貸し、自分のことを公正に取り行う人」④「正しい人」とあるように、神に対して、人に対して、そして自分に対しての在り様が記されているからです。
- またこの詩篇には、「主を恐れる」者の祝福について次のように記されています。
①「その人の子孫は地上で力ある者となる」
②「繁栄と富がある」
③「その人の義が永遠に堅く立つ」
④「決してゆるがされない」
⑤「とこしえに覚えられる」
⑥「悪い知らせを恐れない」
⑦「自分の敵をものともしない」
⑧「貧しい人々に惜しみなく分け与える」
- 詩篇にある「主を恐れる者」に与えられる祝福を概観するだけでも、主が「主を恐れる者」と親しくされ、どんなにか愛しておられるかがわかります。主はそのいつくしみを、「主を恐れる者」のために蓄え備えておられます。主の目はいつも主を恐れる者に注がれています。また主の使いも、「主を恐れる者」のまわりに陣を張り、彼らを助け出されます。また、「主を恐れる者」の願いをかなえ、彼らの叫びを聞いて救われます。
- 日本の神学者渡辺善太氏の愛弟子である岡村民子氏の言葉を借りて表現してみるならば、「主を恐れる」という自覚について、次のように表現できるかもしれません。
(1) 聖前感
ーこの世の常識や自分のものさしが根底から覆される存在に出会ったという自覚。
(2) 被造物感
自分が神によって造られた存在であり、創造主なしには存在し得ないという自覚。
(3) 反省感
ー神の光に照らされて自分を反省(悔改)し、常に自己吟味を迫られるという自覚。
(4) 負債感
ー永遠に払い切れない代価で神に買い取られ、祝福という負債を持ったという自覚。
(5) 自立感
ー人に依存することなく、ただ、神(キリスト)にあって立つという信仰的自立の自覚。
(6) 使命感
ー神から与えられた召しに対して、忠実に生きようという使命感的自覚。
(7) 敵前感
ー神の敵の存在とその策略が常にあるという意識と神の武具による勝利の自覚。
以上のような自覚こそ、「主を恐れる」ということではないかと思います。