****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

礼拝用語Ps131

詩131篇「(魂を)和らげる、静める」 שָׁוָה シャーワー

(カテゴリー:信頼)

2節「まことに私は、自分のたましいを和らげ(שָׁוָה)、 静めました(דּמַם)。」

Keyword; 「沈黙、平穏」  silent, still,

  • 詩131篇は短い詩篇ながらも、「静まりへの希求」をテーマとしたすばらしい詩篇です。120篇~134篇の「都上りの歌」のテーマは、「シャロームへの希求」です。このテーマにおいて、まさに詩131篇はきわめて重要な詩篇と言えます。
  • 作者は自分のたましい(ネフェシュ)を「和らげ」「静め」ようとしています。「和らげ」と訳された動詞シャーワーשָׁוָה(shawah)は、平らにする、平穏にする、沈黙させる、静める、still という意味で、旧約では4回、詩篇ではこの131篇のみ使われています。後者の「静めます」と訳された動詞ダーマンדּמַם(damam)は、穏やかにする、 沈黙させる、silent, quietで、前者のシャーワーשָׁוָהと似たような意味を持っています。同義的なことばを重ねることによって、「静まりへの希求」を一層強める表現となっています。
  • 今日、キリスト教会は、この「静まりへの希求」が高まりつつあります。この霊性の必要性を強調している一人、ヘンリー・ナウエンは“Out of Solitude” (邦訳「静まりから生まれるもの」―大田和功一訳、あめんどう社、2004)の中で、「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。」(マルコ1章35節)という聖書のテキストを通して、多くの人々の問題に深くかかわっておられるイエスの働きの中心(秘訣)に、ひとり退くこと、御父との親しい交わりに身を浸すことの重要性に注目しています。一人になること、一人でいること、閑静な場所に身を置くこと、人から離れることのできる場所を持つこと、それがなぜ大切なのか。それは、私たちのすること、言うことに深みを(内実を)持たせるためです。
  • ドイツのナチに立ち向かった牧師ボンフェッファ―は「共に生きる生活」という本の中で、沈黙についてこう述べています。
    「一人でいることのできない者は、交わりに入ることを用心しなさい。交わりの中にいない者は一人でいることを用心しなさい。・・ひとりでいる日がなければ、他者と共なる日は交わりにとっても、個人にとっても、実りのないものとなる。」 
    これは沈黙の必要性を語っています。沈黙は神に聞くためのものであり、神の道はしばしば外的活動を犠牲にしなければならない反対の方向にあります。
  • はからずも、作者は1節で「主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。」と述べています。高慢な野心、崇高な気負いから解かれて、意図的に、平静な心を回復することが必要なのです。作者はそれを「乳離れした子が母親の前にいる」姿にたとえています。主の前にただひたすら静まって御声に聞き入っているマリアのライフスタイルを彷彿させます。

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