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礼拝用語Ps16

詩16篇 「ほめたたえる」「ほめまつる」 בָּרַךְ バーラフ     

〔カテゴリー賛美〕

7節「私は助言を下さった主をほめたたえる。 まことに、夜になると、私の心が私に教える。」

Keyword; 「ほめたたえる」 praise, I will bless,
16:7/18:46/26:12/28:6/31:21/34:1/41:13/63:4/66:8/68:19, 26, 35/72:18, 19/89:52/96:2/100:4/103:1, 2, 20, 21, 22/104:1, 35/106:48/115:18/118:26/124:6/134:1, 2/135:19, 20, 21/144:1/145:1, 2, 10, 21/

  • 「バーラフ」(בָּרַךְ)は旧約で327回、詩篇では74回。「あがめる、かがめる、祝福する、ひざまずく、賛美する、ほめたたえる、ほめまつる、たたえます」という意味があります。賛美を表す用語ですが、バーラフの特長は、声を出さずに、静まって、ひざまずいて主を礼拝し、賛美するという意味合いの強い言葉のようです。詩95篇6節「来たれ。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。私たちを造られた方、主の御前に、ひざまずこう。」の「ひざまずく」は「バーラフ」(בָּרַךְ)。「伏し拝む」(「ハーヴァー」חָוָה)、「ひれ伏す」(「カーラー」כָּרַע)もみな類義語と言えます。「ひざまずく」(「バーラフ」בָּרַךְ)の名詞は「ベラーハー」(בְּרָכָה)です。
  • 詩16篇の作者がなぜ主をほめたたえているのかを瞑想すること、これがこの詩16篇の鍵です。「私の心が私に教える」とは不思議な表現です。「助言を下さる主」と「夜」と「私の心が私に教える」とがどのように結びつくのでしょうか。新共同訳では次のように訳しています。「主は、私を励まし、わたしの心を夜ごと諭してくださいます。」と。
  • 新約では「助言者なる主」を「助け主」と表現しています。聖霊のことです。新約時代においては、この「助け主」はキリストを信じるすべての者に例外なく与えられますが、旧約時代にはごく限られた人たちにだけ与えられました。この詩篇の作者(ダビデ)もその一人です。聖霊の働きの大切な役割は、私たちが人から言われたことばを思い起こすのではなく、御子イエスの語ったことを思い起こさせて下さることです。ダビデはしばしば「夜」-孤独のとき、ひとりになるとき、静けさの中にあるとき、あるいは、人生の特別な夜、つまり行き詰まりのとき、思案投げ首のときを意味しますーに聖霊の語りかけを聞き、自分の心が諭され、いのちの道を教えられたようです。
  • この「助言者なる方」をダビデがいつも自分の前に置いたとき(新共同訳「相対したとき」)、「ゆるがされる」ことがなく、「私のたましは楽しみ、私の身もまた安らかに住まう」ことができたのです。私たちも御霊の静かな小さな声を、「夜」に聞くべきです。神と人とのかかわりのすべての領域において、私たちの「助け主」となってくださる「聖霊を悲しませてはならない」(エペソ4章30節)のです。主の前に「ひさまずく」ことと、「助言者」の声に聞き従うこととは、密接な関係があるようです。

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