礼拝用語Ps26
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詩26篇「歩む」 הָלַךְ ハーラフ
〔カテゴリー信頼〕
1節 「弁護して下さい。主よ。私が誠実に歩み、よろめくことなく(完全に)、主に信頼したことを)・・」(הָלַךְ)〔新共同訳では「誠実」を「完全な道」と訳している。〕
3節 「私はあなたの真理のうちを歩み続けました。」(הָלַךְ)
11節 「しかし、私は、誠実に歩みます。」(יָלַךְ )・・&size18){הָלַךְ};の未完了
Keyword;「歩む」 walk, live,
「ハーラフ」(הָלַךְ)
1:1/15:2/26:1,3/56:13/81:13/84:11/86:11/89:15/101:2,6/119:1,3,45/128:1
「ヤーラフ」(יָלַךְ)
23:4/26:11/78:10/89:30/138:7/143:8
- 1節の「歩み」は完了形でずっと「歩んできた」という意味です。3節の「歩み続けました」とは完了形のヒットパエル態で、繰り返し、自発的に「歩んできた」という意味。そして11節は未完了形が使われており、「歩みます」という作者の強い意志を表しています。
- 「歩む」とは、生き方や神と人とに対する心の態度を指し示す言葉です。それは、神がアブラハムに語ったように「あなたはわたしの前に全き者であれ」(創17:1)と言われたように、神にのみ信頼する生き方、および態度です。しかも、自らの意思でそれを選択して生きることです。それゆえ、英語ではしばしば I will walk と訳されています。
- 詩篇の作者たちは、どのような歩みをしたのでしょうか。上に掲載した聖書箇所を見てみると、次のような人生の姿勢が見えてきます「悪者のはかりごとに歩まず」(1:3)、「正しく」(15:2/84:11)、「真理のうちを」「誠実に」(26:1, 11)、「神の御前を」(15:2)、「神の道を」(81:11)、「御顔の光の中を」(89:15)、「自分の家の中を」(101:2)、「全き道を」(101:6/119:1)、「主の道を」(119:3/128:1)、「神の教えに従って」(78:10)、「行くべき道を」(143:8)歩み、「たとい死の陰の谷を歩くことがあっても、恐れず」(23:4)、「広やかに」(119:45)歩み、「苦しみの中を歩いても、あなたは私を生かしてくださる」(138:7)と告白されています。
- 新約聖書では、使徒パウロがエペソ人への手紙の中で次のように勧めています。
「召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。」(4:1)
「愛されている子どもらしく・・・愛のうちに歩みなさい。」(5:1, 2)
「光の子どもらしく歩みなさい。」(5:8)
「賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し」(5:15)なさい。
と語って、キリスト者生活の実践的指針を勧めています。
4:1の「(ふさわしく)歩みなさい」は、ギリシア語では「アオリスト時制・不定詞」が使われています。つまり、はっきりと自分の意志でそうすることをしてしまいなさいという意味です。また、5:2の「(愛のうちに)歩みなさい」は、現在形の命令形です。継続的に歩み続けなさいという意味です。このように、神が私たちのためになして下さった恵みに対して、それに釣り合うほどの主体的、自覚的な歩みが期待されているのです。
- また「御霊によって歩みなさい(歩み続けなさい)」(ガラテヤ5:16)、「キリストにあって歩みなさい(歩み続けなさい)」(コロサイ2:6)という勧めも、究極的には、このような歩みができるのは私たちを召して下さった神ご自身以外にないことを教えています。「人の歩みは、主によって確かにされる」(詩篇37:23)とあるとおりです。そのような人を主は喜ばれ、主が支えて下さいます。