礼拝用語Ps33
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詩33篇「恐れる 」יָרֵא ヤーレー
〔カテゴリー服従〕
8節「全地よ。主を恐れよ。世界に住む者よ。みな、主の前におののけ」(新改訳)
8節「全地は主を畏れ、世界に住むものは皆、主におののく。」(新共同訳)
Keyword; 「恐れる」 fear, worship,
2:11/3:6/23:4/27:1, 3/33:8/34:9/40:3/46:2/49:5, 16/52:6/56:3,4,11/64:9/65:8/67:7/91:5/111:9/112:1/119:63,120
- 「恐れる」と訳されたヤーレー(יָרֵא)は「恐れかしこむ、拝む、畏れ敬う、重んじる、おそれおおい、おそれおののく」といった意味であり、旧約の人々は「主を信じる」ことと「主を恐れる」ことは同義と考えていたようです。新共同訳では「畏れる」という文字を使っています。
- 「恐れる」は、敵や死、危険や失敗、あるいは秘密の発覚を心配してこわがるという面があると同時に、「畏れる」という面を合わせ持っています。「畏れる」(畏敬、畏怖)とは、かしこむ、恐縮する、おそれおおい、自然やいのちの神秘に触れたときの驚きの感覚です。
- 「旧約聖書ヘブル語大辞典」を編集した名尾耕作氏は、「主を恐れる」というヤーレー(יָרֵא)を次のように説明しています(「旧約聖書名言集」講談社学術文庫、244頁)。
「主を恐れるということは、たんに主を畏敬する意味ではありません。神を恐れた人物として、ヨブとアブラハムが聖書にしるされています。・・創世記(22:12)によりますと、アブラハムが、神の命令に従って愛する子イサクをモリヤの山でささげたことを主の使いは、アブラハムが神を恐れていたからだと言っています。アブラハムのこの行為を新約聖書のヘブル書(11:17~19)では、『神には人を死者の中からよみがえらせることもできる』という信仰によって、アブラハムはイサクを神にささげたのだと言っています。ですから、神を恐れるということは、・・・人にはまったく不条理に思える真理を信じることです。すなわち、神への全幅的信仰です。これが人生の知識、知恵の初めであり、基本であるのです。」
- 箴言に「主を恐れることは知識の初めである」(1:7、詩111篇10節)、「主を恐れることはいのちの泉」(14:27)とあるように、「主を恐れる」ということは、神と人と正しいかかわりである「義」を表現することばです。
- 「主の御名は聖であり、おそれおおい」(詩篇111:9)ことを知ることが、神との良いかかわりを築かせます。しかし逆に、主に対する狎れ、神の恵みに狎れることは、神からのさばきを招きます。たとえば、祭司エリの二人の息子たち(ホフニとピネハス)がその例といえます。サムエル記第一2章参照。愚かな子とは、主を恐れる知恵のない子です。